第86回
親が死んだら家を出て行け
ほんの少し前までは、よほどの大金持ちでない限り、
相続の心配など不必要だった。
家が東京二十三区の中にあっても、
百坪の敷地に五、六十坪の建物が建っているくらいなら、
税務署の評価はせいぜい四、五千万円、
奥さんのほかに相続人が二人か、三人おれば、
相続税とは無縁か、あってもわずかばかりの金額ですんだ。
ところが、都内の土地が大暴騰をして、
港区とか、千代田区とか、中央区などといったところに家を持っていたら、
坪当たり三千万円、五千万円という時価は当たり前になったから、
路線価格がその半分としてもたちまち十五億円か、
二十五億円になってしまう。
どんな立派な家が建っていようとも、
中古の家など勘定に入れないでもそれだけの評価になる。
相続税の税率は、今度の改正で基礎控除が今までの倍の四千万円、
相続人一人当たりの控除額も倍の八百万円になったが、
不動産の値上がりは三倍、五倍、あるいはそれ以上だから、
そのていどの控除額では焼石に水である。
一億円なんて夢のまた夢と思っていたのが、
三十坪や五十坪でも何十億ということになると、
一人当たり一億円をこえると50%の税率になるし、
五億円をこえた分は最高の70%になる。
一人当たりの遺産が五億円をこえる人はそうたくさんはいないかもしれないが、
何の相続対策もせず、財産を税務課の評価に任せたら、
二億円、三億円になる人がそう珍しくなくなってしまった。
昭和六十二年度分の相続税の対象になるお金を遺して
死んだ人が五万九千人、遺産総額は八兆二千億円に及び、
申告漏れも三千八百億円にのぽると発表されている。
如何に多くの人が相続税のアミに
ひっかかるようになったかを示すものであろう。
親から遺産として二億円の銀行預金を遺されて、
そのなかから何億円ももって行かれるのは、
もったいないことに変わりはないが、
現実に遺産がそれだけあるのだから払えといわれれば仕方がない。
ただ、たいていの人は一生に一度もそんな大金を拝んだことがないのに、
いきなり徴税令書をつきつけられたらハタと困惑してしまう。
持家にそれだけの値打ちがあるといわれても、
それは三十年前に親父が百万円で買ったものだ。
何の罪をおかしたわけでもないのに、
親父が死んだから立ち退いてくれといわれても困るし、
十五年の分割払いを認めるといわれても、
年に五・四%の金利を払っていく自信はない。
それでも何も遺してもらえなかった人に比べればトクしたじゃないですか、
といわれればたしかにその通りだが、
自分たちが高くなってくれと働きかけて高くなったものでもないのに、
親父が死ぬと同時に家族が今まで住んでいた家から追い立てられるのは、
どう考えても東洋の美風良俗に反する。
一体、誰がこんな阿呆な税法をつくったのか、
といいたくなるが、戦後まだ皆が貧乏だった頃に
金持ちに対して抱いた嫉妬心と敵意によって
つくったものというよりほかない。
その時はまさか自分たちがこれほど金持ちになるとは想像もしていなかったが、
いつしか自分たちのつくった民に自分たちが
はまり込むことになってしまった。
それも選りすぐった大金持ちだけがそういう目にあわされるのなら、
人のことだからどうでもいいが、
大都市に住む中クラス以上の人々が同じ苦しみを味わわされるとなると、
それなりの予防対策を講じなければならなくなる。
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