第81回
青年のように振舞えるか
若い時から年寄りというものをたくさん見てきた。
年寄りの風貌とか、年寄りの持つ独特の雰囲気も大体、頭の中に入っている。
しかし、そんなことはいずれも「他人事だ」
とばかり思ってきた。人間、いつかは必ず年をとり、
いつかは必ず死ぬとわかっていても、
「他人事」と思っているあいだはそれほど切実なことではない。
誰でも毎日、少しずつ年をとっていくのだが、
昨日と今日ではほとんど差はないから、
自分ではまったくそれと気づかない。
ところが、久しぶりに会った友達があまりに年をとっているのに、
アッと叫びたくなるほど驚くことがある。
口に出してこそいわないが、恐らく向こうも驚いているに違いない。
古いアルバムをめくって五年前、十年前の自分の写真を見ると、
すっかり年をとってしまったことがいやでも目についてしまう。
それでも人間は自分が年をとったことは、
なかなか認めたがらない。
何しろ年をとった経験が1ぺんもなく、自分の顔にたるみができたり、
織がよったり、鍬に白いものが見えたすることは
すべてはじめての出来事だから、不思議でたまらない。
性欲が衰えていくのだって、その場ではあまり感じないことだし、
食欲にしても、だんだん量が減っていくことは間違いないが、
病気でもしない限りは毎日、同じように食べている。
その点、いつまでも衰えないのが物欲で、
こればかりはもしかしたら、
年をとるにしたがって逆に強くなっていくものかもしれない。
我々の周囲を見ても「欲張り婆さん」とか、
「意地悪爺さん」というのはたくさんいる。
そういう人を見るにつけても、人間は放任しておくと、
年をとるにつれて醜くなったうえに、
やることなすこと、すべて人に嫌われるようになる。
そうならないようにしようと思えば、
かなり意識的に老化に対して抵抗する必要がある。
そのためには、若い時と同じように、
身体を動かすことを億劫がらないことも大切だし、
気軽にとびまわるよう自分も訓練しなければならない。
年をとりたくないと思えば、
青年のように振舞うのが一番である。
いっそ青年たちに囲まれて働くという手もある。
私は三十代の半ばに、小説家として執筆をするかたわら、
実業に手を出し、ずっと自分より若い人と
一緒に仕事をしてきた。
しかし、三十代から四十代にかけては、
人の使い方をまるで知らなかったせいもあるが、
人を使ってやる仕事ではほとんど成功しなかった。
一つには、個人の才能にたよる仕事に従事してきたし、
またそれでメシを食っていけるだけの自信があったので、
全力投球ができなかったせいもある。
もうーつには、使われる人に対する配慮が足りなかった
という反省もある。
自分がよく働く分、部下も自分と同じように
働くのが当たり前だと思ったし、
そうなることを部下に強要した。
また仕事がうまく行けば、ボーナスを要求されてもやむを得ないが、
まだ赤字にあえいでいる時に賃上げを要求されると、
あからさまに不機嫌な顔をした。
|