第64回
長生きだけが能ではないが
多くの男性にとって、
そういうきっかけとなるのは、多分、定年であろう。
女性にとっては亭主に死なれた時かもしれない。
今までなれてきた生活に突然、大きな変化が起きれば、
それが下り坂のはじまりとなる。
健康を害したり、大病をやったりすると、
それがきっかけになって急速に坂を
ころげおちるようなことも起こる。
下り坂がなだらかな坂なのか、断崖絶壁なのか、
は人によって違うけれども、
もしそれをブレーキをかけながら上手に下りようと思えば、
やはりそのためのテクニックは必要となる。
人間の身体ひとつ例にとっても
長持ちのする人とそうでない人がある。
また遺伝によってガンになりやすい体質もあれば、
心臓や血管にトラブルを生じやすい人もある。
そういう人を十把一からげにして
「健康に気をつけなさい」というのは
あまり意味がないと思うが、
自分より年の若い人が早く死んで行くのを見て、
「もしかしたら人間のパーツは大体、
五十年間は使用に耐えるのではないか」
「大事に養生しながら使えばさらに二十五年くらいは、
もつのではないか」と思うようになった。
というのも、元気でわあわあ騒いでいる間は、
パーツが皆、ちゃんと正常に動いてくれているので、
あまり気がつかないが、どこかのパーツが異常をきたすと、
たいていの人が五十の坂をこえられずに死んでしまうからである。
私は人間の身体はあるていどの酷使に耐えられるように
つくられているから、
時どきは酷使してみるほうがいいと思っている。
とくに若い時は、疲労からの回復も早いから、
徹夜をしてもよいし、
体力の限界に挑戦するような強行軍をしてもさしつかえない。
少々、暴飲暴食をしても胃袋がちゃんとそれに耐えてくれる。
ところが、不規則な生活や暴飲暴食を長期にわたって続けると、
身体のパーツに疲れが出てくる。
胃袋がそれに耐えられなくなる人もあれば、
食道や肺や十二指腸の調子が悪くなる人もある。
自動車なら、壊れたパーツを新品に取り換えればよいが、
人間の身体のパーツはーカ所に重大な故障が生ずると、
全体が動かなくなってしまう。
石原裕次郎をみてもそうだが、
私の若い友人たちで五十歳前後で死んだ人々は
ほとんどが例外なく夜を徹して酒を飲み、
一日に四、五十本も煙草をふかしている。
あんなに酒を飲み、あんなに昼と夜を逆さにした
生活をくりかえしてよく身体がもつものだな、
と感心していたら、あっという間に胃ガンになったり、
肺ガンになったりしてバタバタと死んでしまったのには驚いた。
人生は長く生きるだけが能ではないと思っているから、
他を犠牲にしても身体にだけは気をつけろ、
と忠告をする気は私にもない。
しかし、もし長生きをしたかったら、
深酒、深煙草は慎んだほうがよいとはいえるだろう。
人間、身体がおかしくなってからでは間に合わない
といったところがある。
もっとも、それは全体としていえることで、
人間の身体のパーツはさして酷使しない場合でも
五十年も使用すると、あちらこちらに故障が生じはじめる。
それが致命傷になって、
そのまま不起の人になってしまう人もある。
私の場合は、四十五歳の頃に糖尿病の症状が現われた。
当初はあわてふためいて、
斯界の権威の医者にかかったり、
そういうことを専門にする町医者の治療を受けたりした。
私のように親からそういう素質を受け継げば、
糖尿になるのは避けられないし、
また三度三度私のように美食に耽れば
糖尿にならないほうがどうかしている。
「じゃ、どうすればいいのですか?」と医者にきくと、
「砂糖や澱粉質のものは食べるな」
「カロリー過剰から起こる病気だから、
低カロリーのものを少しだけ食べるようにしなさい」
「私なんか昼食はずっとざるそばだけで、
どうしてもおなかが空いてたまらない時だけ、
せんべいをかじってお茶を飲んで、
空腹感をおさえているんですよ」とお医者さんはいう。
思わず私は相手の顔を見て、
「一体先生は何のために生きているのですか?」
とききかえしたことがあった。
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