第30回
人間は「体験の動物」
第二の違いは、政府も企業も個人も、
六十年前に比べて大恐慌に対し
極端に警戒的になっていることである。
政府は前回の恐慌にこりて、少しでも景気が悪くなったり、
失業者がふえたりすると、
すぐにも対策を打ち出してくる。
景気が過熱しても、金融引締めをしたり、
金利を引き上げたりして抑えにかかる。
企業は企業で滞貨の山になることをおそれているから
在庫管理に神経を使っており、
少しでも売上げが停滞すると、
すぐにも、生産をおとして在庫減らしにとりかかる。
だから、六十年前のように、
買ってくれる人がいなくなって商品の叩き売りをやらなければ、
金ぐりができないようなことはまず起こらない。
また個人にしても、昔に比べれば、
住宅ローンなどの借金がふえたが、
株の大暴落によって借金の返済ができなくなる立場の人は少ない。
株を持つ人もうんと多くなったが、
株が下がったら売らないで辛抱するだけで、
青くなる時のなり方が昔とは違う。
仮に経済的なピンチに遭遇することがあったとしても、
それは六十年前の大恐慌とは違ったもので、
国をあげて連鎖倒産を起こすようなことには
まずなりそうもないのである。
現に、昭和六十二年の十月十九日から
二十日にかけて世界的な株価の大暴落が起こった。
六十年前なら、これがきっかけで企業の連鎖倒産が起こり、
銀行の取付け騒ぎになった。
しかし、本家本元のアメリカでさえも、
事業会社で連鎖倒産に見舞われたものはほとんどなく、
わずかに証券会社で思惑に失敗したところが
経営不振におちいってM&Aの対象になったくらいなもので、
最も顕著な被害はハーバード・ビジネス・スクールの卒業生が
整理の対象になったことくらいであろう。
半年もしないうちに、日本では株価が新値を付け、
アメリカ経済一辺倒の体制からの脱却がはじまっている。
それでもなお恐慌再来を警告する言論は多い。
大暴落の直後よりも、むしろ多くなっている。
どうしてだろうか、と観察していると、
「狼少年」的なオドカシを好む傾向が
ジャーナリズムに強いこともあるが、
人間が一般に過去の体験に頼りがちであり、
その場合、過去と現在の相違点よりも、
類似点に心を奪われがちだからではないかと思う。
つまり人間は「体験の動物」だということであり、
年輪を重ねると、ますますその傾向が強くなる。
とりわけ、平均寿命が延びて生きている時間が長くなると、
それだけ経験がふえるから、
ますます経験の虜になってしまうのである。
ところが、今の世の中に起こっていることは
いずれも経験を裏切ることが多い。
今ふれた大恐慌の現象一つにしてもそうだが、
次々と起こることは、十年前に起こったこととも、
二十年前に起こったこととも違う。
とくに、豊かな社会というのは、
日本人にとっても、史上はじめての経験だから、
労働力が売り手市場になるとか、
OLの連中でも連休を利用して、
ちょっとハワイやパリあたりの旅行に出かけてくる、
といった経済現象・社会現象は、
年寄りの経験の中になかったものである。
年寄りが自分たちの昔の経験をもとにして
「今時の若い者は」などと本気になって説教をしたら、
失笑を買うのが関の山であろう。
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