死ぬまで現役

老人を”初体験”する為の心構え




第11回
不安定だからこその努力

しかし、こうした不安定な状態に自らをおくことは、
それ自体、必ずしも悪いことではない。
不安定な状態におかれれば、
人はそれを逃れるために必死の努力をする。
原稿が売れなくなれば、どうすれば売れるようになるか、
知恵をしぼるし、新規分野の開発にも頭を使う。

私自身についていえば、小説が売れなければ、
読者と新しい接点を求めて、食べ物エッセイも手がけたし、
歌謡曲の作詞もこなし、
ついにはお金をテーマに取り上げるようにもなった。

読者によく読んでもらおうと思えば、
読者が何に関心を抱いているか、よく研究をし、
先回りをして知識を仕入れなければならない。
世の中の移り変わりを先に読んで、
予言者のようなマネもする。

「円高に克つ」という本も書けば、
『お金持ち気分で海外旅行』といった本も書く。
最初の頃は連載が終わればそれっきりか、
と思ったこともあったが、不思議なもので、
先を読む能力がそんなに狂っていなければ、
連載がーつ終わると、
また別のところから新しい連載の依頼があって、
メシが食えなくなるはずが、三十年たっても、
なんとかメシのタネが続いている。

こういうのを「不安定の中の安定」
とでもいったらよいのだろうか。
危機感を抱いたまま考えられるだけの手を
次から次へと打ってゆくので、
結果としては収入もサラリーマンよりはずっと多いし、
不時に備える貯蓄や投資もやるので、
気がついてみたら、それなりの財産もできている。

もちろん、文士稼業の中には世の常識をバカにする人も多いから、
貯蓄などといったケチ臭いことはいっさい行わず、
いつも自分を貧乏と緊張のただ中に追い込んで、
それで芸術的な昇華をはかる人もいる。
そういう人も含めて、自分を不安定な状態において、
自分の力量を試したり、あるいは、
生き甲斐を改めて確認したりするのは、
必ずしも芸術家やスポーツマンだけの特権ではない。

定年のある稼業と定年のない稼業に二分して、
定年のない稼業に属する人生を歩む人は、
中小企業のオヤジさんも含めて、この仲間に入る。

定年のない稼業に従事する人は、定年がないのだから、
退職金はもらえないけれども、それがなくてもすむだけの、
もしくはそれを含めた以上の収入を稼ぎ出す。
もしそれができないようなら、
サラリーマンよりずっとみじめな老後しか待っていない。
それくらいのことは誰でも知っているから人一倍働くし、
不安のカバーができるだけの貯蓄もやる。
すると、私が物書きとしておかれた立場と同じように、
不安定ながら何とか首がつながっていき、
何とかメシが食っていけるようになる。
それをどのていどのランクまで押し上げていくかは、
本人の意志と能力と努力次第であろう。
そのためにはまず、不安定な状態に
自分自身を突き落とすことからはじめなければならない。





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2014年12月15日(月)

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