第622回
築地移転問題は食文化継承に影響を与えるか?
先日テレビで築地移転問題について紹介していた。
このコラムでも取り上げたように、
築地を豊洲に移転させるという計画が進行中だ。
テレビのなかでは、
移転先の豊洲のプラント跡地はダイオキシン濃度が基準以上で、
食品安全上問題ではないか、とか、
都が築地の豊洲に比べる土地の資産価値から、
財政負担の補填に使うことで推進しているのでは、
などと色々意見がだされていた。
そのなかで、コメンテーターの発言として気になったのは、
「現在は家庭の主婦は
スーパーで魚を買うことがほとんどなので、
築地は一部の高級料理屋向けの価値しかないのでは」
といったもの。
確かに現在は、魚屋がどんどん廃業して、
スーパーの魚売り場で日常の食材を買う主婦が多いだろう。
それもパック売りのもの。
スーパーが広まる前には、
魚は魚屋に、野菜は八百屋に行って買うことが当たり前だった。
そこに、「今日の鯵はいいよ」とかいう、
主婦と魚屋のコミュニケーションが存在していた。
その魚の質を支えているのが築地市場の役割となっている。
テレビコメンテーターの発言は、
日常はスーパーで身元の分からない魚を買うしかない
という現象を是として、
だから築地が存在する意味が薄れているという、
短絡的な結論を導いているだけだ。
逆に、築地が機能しなくなったら、
もっと、わけの分からない、安全の保証できない食品が
出回る可能性も高い。
また、日本の食文化が効率至上主義で
違った方向に向けられているところを、
もとに戻す努力が必要という認識に欠けている。
廃業する魚屋が増え、スーパーの魚売り場全盛となったのは、
日本の経済社会構造が効率主体となって発展してきた結果、
消費者は旬の美味しさの価値よりも
値段の安いことを重視するようになってきたことが
主原因と思える。
しかし、いまなお残る真面目な商売をしている魚屋の
旬の魚の値段は、スーパーの切り身と比べて、
べらぼうに高いということはない。
少し投資するだけで、本物の美味しさを食卓で味わえるはずだ。
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