第514回
美味しさを究めるには 〜その4
美味しさの理(ことわり)を知る
美味しさを究めるには、
なんとなく美味しいものを食べ歩いているだけでは駄目だ。
何故美味しいのかといった問題意識を常に持って、
実践経験のなかから
美味しさの構造モデルを理解していくことが必要だ。
例えば、蕎麦の汁が
「返し」を「出汁」で割ったものだということを知らないと、
蕎麦屋の汁の美味しさを的確に判断することは難しい。
甘い、辛いなどの一般的な味の感想しか述べられないことになる。
しかし、蕎麦打ちができて、
蕎麦の汁も自分で作ったことがある人ならば、
自分の作った返し、出汁を基準として、
「この店は出汁で伸ばす率が少ないので辛く感じる」
などの理がわかる。
あるいは、
「出汁の原料の鰹節はあまりいいものを使っていないので
生臭さがある」
など、美味しさ、不味さの原因も把握できるようになる。
日本酒が米を原料にした醸造酒
ということくらいしか知らない人間が日本酒の美味しさを語ると、
これも、甘い、辛いくらいしか表現が無い。
しかし、酒米や酵母の種類と
完成した日本酒の香味へ及ぼす影響について知識があるだけでも、
酒の味についての理解は格段に高くなる。
「6号酵母を使った落ち着きがあり、
山田錦の味の豊かさ、ふくよかさがよくでている」
などの解釈ができることになる。
さらに、麹造り、酒母造り、もろみ状態などの
日本酒造りのプロセスなども知れば、
さらに、日本酒の味わいの差が
造りのどこから出ているかということも分かってくる。
また、食材についての知識も、
実践体験を積んでこそ本質を理解できてくる。
実際には食べたことが無いのに、
メディアからの知識取得だけで、
どこそこの何が美味しいなどと薀蓄を語るのは、
すぐに化けの皮がはがれる。
全国各地には美味しい食材が色々とある。
料理屋に行くだけでも、その食材を味わう体験はできる。
しかし、それらを取り寄せて調理してみれば、
食材に対する理解は深まる。
さらにその食材の産地を訪問して、生産者の話を聴けば、
食材の美味しさが
どんな努力によるものかということも分かってくる。
食材の知識をさらに究めるには、自分で生産して見ることだ。
私は蕎麦打ちを始めてから、
美味しい蕎麦粉を求めて全国の製粉所から取り寄せてみた。
そこそこ美味しい蕎麦は打てたが、まだ物足りないので、
最後は蕎麦を自分で栽培するようになった。
種蒔き後2ヵ月半くらいで、実は熟し、刈り取りとなる。
手刈りした蕎麦は天日干しにして、
それから脱穀の作業をして、蕎麦の実が収穫できたことになる。
この蕎麦の実はまだ黒くて硬い殻がついている。
この状態を玄蕎麦と呼ぶ。
この殻を専用の皮剥き機で除去する。
これがとても大変な工程で、
数十キログラムある蕎麦の実を
上下に移し変えたりする重労働を伴う。
これで、甘皮が緑色の綺麗な色をした丸抜きが得られる。
この丸抜きを石臼で挽けば蕎麦粉になる。
石臼の重量、回転数、目立て、上臼と下臼の間隔などによって、
挽かれた蕎麦粉の粗さが異なる。
細かい粉は打ちやすいが、風味も飛びやすい。
粗い粉はつながりにくいが、風味は豊かだ。
このような過程で種から蕎麦粉を作るまでを体験すれば、
蕎麦屋で食べる蕎麦の味について、正確な分析ができるようになる。
このように、料理から食材へと源流に遡ること、
すなわち、自ら料理の体験をし、
さらに、食材を入手する努力を行い、その食材の生産地を訪ね、
さらに、可能なら自分で生産してみることによって、
美味しさの理、美味しさの本質を体得できる。
そうなれば、それを知らない人間では感じられない
美味しさの機微を知ることになる。
美味しい思いをするためには、
自らの美味しい感覚を磨く必要があるが、
それは、美味しい店の食べ歩きや、
薀蓄が書いてある本、雑誌を読むだけでは不十分だ。
プロの料理人から色々と食材や調理法の話しを聴くのは
参考になるが、彼らも偏った意見を持っていることも多い。
食べ歩くことに加えて、
美味しさの源流を訪ねて、
自らの体験のなかに美味しさの理を知ること必要だ。
|