“蕎麦屋酒”の著者がプロ顔負けの美味探求

第409回
江戸前料理の誤解 〜その3

鮨と寿司はどちらが本来の正しい表記かという議論がよくある。
実はどちらも正しくない。
昔は「鮓」という字を用いていて、
「鮨」も「寿司」も当て字だ。
「酢」とは「なれずし」を意味していて、
昔はすべて「なれずし」だったので、この字を当てていた。
なお、「鮨」は「しおから」を意味するようだ。

江戸末期には鮨、天麩羅、鰻、蕎麦などの江戸前料理が華開いた。
守貞漫稿では、江戸の食文化は京坂よりも高いという記述がある。
喜田川守貞は文化7年(1810年)6月に浪花で生まれ、
天保11年(1840年)9月に江戸に移っていて、
もともとは関西の生活が長かったので説得力がある。
この守貞漫稿は喜田川守貞が江戸に移住して、
京坂とあまりに違う文化に驚いて書き始めたもので、
随所にイラストによる説明もあり、
当時の庶民文化を知るためには大変参考になる。

なお、衣食住の比較では、
このころは、大阪は京都よりも食では上とされているが、
江戸の食文化は大阪よりも上と言われていたわけだ。
江戸前料理は、世界に比類を見ない高度な食文化の結晶だ。
鮨で言えば、ただ新鮮なものを酢飯に乗せて握るだけではなく、
客に食べてもらうその「瞬間」が
最高に美味しくなるような配慮が見えないところにされている。

江戸前鮨の仕事というと、
酢で〆るとか、昆布で〆るとか、火を通すとか、
単純な作業だけを捉えている人が多いが、それだけではない。
魚介類の仕入れからはじまり、それぞれの素材を見切って、
どの程度の熟成が必要か判断し、仕事の仕方を変え、
また客の嗜好に応じて瞬時に握りを変えるなど、
職人の技と工夫と努力によって、
我々は美味しい鮨を食べることができる。

時間をかけて食べても味の変化が少ない「関西割烹」と、
瞬間の美味しさを追求した「江戸前料理」は
全然違う食文化がつくりあげたものだ。


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2006年3月23日(木)

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