“蕎麦屋酒”の著者がプロ顔負けの美味探求

第233回
味覚障害列島の日本

最近、普通に美味しいものが少なくなってきている。
レストラン、割烹でも奇をてらった食材の組み合わせ、
ひねった調理味付けのメニューが人気を集める。
酒にしても、ワインは樽香がきついワインや、
タンニンが過剰に感じられるものが主流で、
葡萄のミネラルが自然に感じられて
旨いワインよりも人気がでている。
日本酒はカプロン酸の吟醸香がぷんぷんするものの人気が高く、
米の旨みを出した日本酒は、少数派となっている。

何故こんなことになっているかというと、
日本人の食生活が問題となっているのではないかと思われる。
最近の家庭では、子供の頃の食べ物といえば、
スナック、インスタント食品、
ファーストフードが与えられることが多い。
これらの製品は、
他社製品との差別化のために
口に入れた瞬間のインパクトを強くしているものがほとんどだ。
当然添加物や化学調味料も多く入っている。
コストを下げるためには、
自然の食材は通常は捨てられるようなものを使い、
それを味付けや食感で誤魔化している。
子供たちは、このように強烈な味付けにならされていく。
そして、本来の自然の旨みには鈍感な舌ができてくる。

以前のこのコラムで述べたように、
赤ん坊の頃は動物と同じく、
自分の身体で不足している栄養素を舌で感じて、
それを多く摂取するような味覚が存在している。
味覚は活きるための備わったセンサの役割をして、
安全な食べ物と危険な食べ物を区別し、
身体にいいものを摂取するための助けになる。
この頃は美味しいものイコール安全で
身体に必要なものという方程式が成り立っていた。

このように、味覚は自然が与えてくれた
活きるための道具であった。
それが、日本の食品業界の提供する工業製品に近い食材で、
味覚は失われているのだ。
その結果、大人になってから食べに行くレストランの味も、
インパクトの強いものが美味しいと感じるようになってしまう。
ただ辛いだけの料理、変った味付けの料理、
変な食感の料理がもてはやされている。
自然の食材を好んで食べている人間にとっては、
何故こんな料理がと思うものが、
雑誌、テレビ、グルメ本などで取り上げられたりしている。

その逆に、本来の自然の旨みを提供する
料理店の評価が低いこともよくある。
本来美味しいものは、地味な味ではあるが、
後を引く味、いくらでも食べたいと思う、
心残りを感じるようなものであった。
普通の美味しい、そして、その後に時間が経つにつれて、
満足感がこみ上げてくる料理が好きだ。
そのような、料理を志す店が減ってきたと感じるのは
私だけだろうか?
地味で美味しい店が増え、
そのような味を美味しいと感じる日本人が
もっと増えて欲しいものだ。


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2005年7月13日(水)

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