第229回
口が肥える不幸
大学の研究室の学生を数名連れて、
御殿場市に泊りがけの出張があった。
せっかくなので、
『蕎仙坊』という蕎麦屋で夕食を食べようと考えていが、
連絡をしてみたら丁度定休日であった。
そこで、ホテルのフロントで近くの居酒屋を聞いてみたら、
すぐ近所に串焼きの大衆居酒屋があるという。
「学生さんたちと一緒なら、そこが安くていいですよ」、
と勧められて、
「安くて」という言葉がちょっとひっかかったが、
他になさそうなのでその居酒屋を訪問した。
ファミレスくらいの大きさの居酒屋で、まずはビールで乾杯。
酒肴は焼鳥や鶏の唐揚などで、
まあまあ酒を進める味付けにはなっている。
そこで、日本酒は何が置いてあるかを見たら、
コンビニによく置いてあるような、
規模の大きい造りをしている地酒メーカーばかり5種類。
宮城のI、新潟のJ、京都のT、栃木のI、そして地元静岡のH。
それぞれ、一応純米酒か純米吟醸酒を置いている。
学生たちは、静岡に行くのだから開運が飲めるだろう、
と期待してきてようで、いくらかがっかりしている。
今回の5種類のうち、いくつかは飲んだことがあるらしいが、
うちの研究室に来てキラボシの純米酒を知る以前のこと。
いまでは、買って飲もうという気にならないと言っていた。
やむなく、全部一応注文して、
取り替えながら味見しようという話になる。
最近の居酒屋でよくあるスタイルで、
酒は枡の中に入ったグラスになみなみと注がれていて、
枡にいくらかこぼれている。
そして、相当冷えている。
全部少しづつ試飲したが、いずれも水っぽく味がでていない。
そのなかで、京都のTは温度が温かくなってくれば、
許容値に入るかと感じられた。
学生たちの評価も同じようだった。
「先生、この酒飲めません」という声が次々あがる。
特に不評だったのは、新潟のJ。
人為的な香味がつけられたような、
不自然なバランスがひっかかる。
この酒は最後まで一番多く残っていた。
学生の感想は、最近では飲む酒の銘柄が限られてきたという。
その理由は、研究室には常に、
秋鹿、奥播磨、るみ子の酒などの芳醇ながら切れのある、
いい造りの酒を学生たちが自由に飲めるように置いてあるからだ。
他の銘柄を飲むのが勇気がいるという。
最近の大手に近い規模になった地酒メーカーは、
一度の仕込みの量が多い、コストを下げる、手間をかけない、
という造りにどうしてもなることが多く、
品質の高い日本酒を期待するのは無理だ。
特に、造りの悪さででてくる雑味を消すために、
活性炭を多くつかった濾過を行い、
酒の味をうすっぺらくしている。
このまずい酒に遭遇する悲劇は、
社会人になるとさらに増すはずだ。
宴会でまずい酒しかないときに、
新人が酒を飲むのを拒否はできない。
「君たちは、私の研究室に来て、
いい酒を知ったことは幸せだったか、不幸だったか」
と問うて見たが、学生からすぐに結論はでなかった。
旨い日本酒がもっと増えないと、
若者たちの日本酒ばなれはどんどん進んでしまう。
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