“蕎麦屋酒”の著者がプロ顔負けの美味探求

第213回
日本酒の造りの歴史 その3

万葉の酒は貴族から庶民まで飲んでいた

万葉の時代、
すなわち、飛鳥から奈良後期に至る130年の間には、
大陸から渡来した「新来(あらき)の人」の指導によって、
水稲耕作技術と酒造りの技術が画期的に進歩する。
大陸から伝承された酒は広く飲まれるようになっている。
宮中の上級官吏はもちろん、下級官吏、農民に至るまで、
酒を飲んでいたようだ。

この頃の農民は、重い税金と自給自足を強いられて、
自由を束縛された生活をせざるを得なかったが、
酒を飲む習慣は、
農耕を始める春に豊作を祈願して飲むことが原点となり、
その後神への信仰、市の酒や官からの給酒で
普段の生活でも酒を飲むことになったと推測される。
官からは、酒によって農耕を怠ること憂いて、
「魚酒禁止令」がしばしば発令されている。
上流階級は「清酒」「浄酒」(すみざけ)という
布で濾過または上澄した澄んだ酒を、
下級役人は「濁酒」「古酒」「粉酒」という
濁った酒を飲んでいた。

この頃には宮中、地方官衙、寺社などでの酒造りが進められたが、
須恵器が全国に広められるようになって、
酒造技術も安定してきた。
酒を飲む様子は「万葉集」に色々とでてくる。
貴族が燗酒を飲んでいたという記述もある。
しかし、酒造りは今日の醸造技術とは違っていたらしい。
酒造りが日本独自のものとして基盤を確立するのは、
次の平安時代から鎌倉時代にかけての
寺院による醸造技術の進歩によるところが大きい。

次回は宮中での酒造りの開始と、
寺院による酒造り、すなわち僧坊酒の技法の発展を紹介する。


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2005年6月15日(水)

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