“蕎麦屋酒”の著者がプロ顔負けの美味探求

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。
コラム「私のスーパーグルメ術」を
ご愛読いただきまして、ありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

昨年は、初めての単行本の出版など、変化の多い年でした。
それがきっかけとなって、
このコラムに執筆するようになったのも、何かの縁です。
また、他にも雑誌での料理紹介、NHK-FM出演など、
グルメ広報活動が充実していた年でした。

今回は新年のご挨拶ということですので、
趣向を変えて、私のこれまでのグルメ経歴、
今年の抱負などを紹介したいと思います。

私は東京生まれの東京育ち。
三代つづいた江戸っ子です。
成城学園の初等科、中学校、高等学校と進学しましたが、
小学生から中学生くらいの頃は偏食で、
アスパラガス、セロリー、ピーマンが大嫌い。
しかし、ヤナギムシカレイの干物を焼いたものが大好き
という変な子供。
一番人口比率の高い団塊世代です。

東京大学の理系に入って、付き合った彼女が女子大の食物科。
二人でよく色々な料理屋を食べ歩くようになりました。
また、母の従兄弟が醸造試験所勤めのグルメで、
美味しい店に連れていってくれたりもしていました。
こうして、美味しい料理屋を探索することが
無類の愉しみとなっていきました。

大学でバンドをやっていて、
ダンスパーティなどで結構いいギャラが稼げたので、
家庭教師のバイト代と合わせて、
「クレッセント」「シェ・フィガロ」などのフレンチに行ったり、
「みその」でステーキを食べたり、
「本村庵」や「田中屋」に蕎麦を食べに行ったりしていました。
大学院は六本木に研究室があり、
当時もらっていた奨学金もほとんど食べ歩きに使っていました。

昭和50年代にホンダの研究所に入社して、
革新技術の研究開発に携わるようになります。
発明から研究開発、商品化まで10年かけた
「4輪操舵システム」を
昭和62年に世の中へ紹介することができました。
その研究開発のおかげで、随分美味しい思いもしました。
海外での技術発表の際には、
その地の美味しいレストランやワインを堪能したり、
国内での技術紹介の際は、
自費では行きにくい評判の料理屋で懇親会を開いたりして、
同行した役員にも喜ばれたものです。

平成になってから、
食の興味は単なる食べ歩きから、自作へと変わって行きます。
これは、ホンダの技術開発の源流主義、
すなわち、いいものを造るためには、
その源流を追求するという哲学の実践でした。
豆腐造り、蕎麦打ち、蕎麦栽培などと
美味しいものの源流に遡ります。
その後、7年間の単身赴任で、
アパートの調理道具を充実させて、料理技術を磨きました。
そうして、蕎麦業界、日本酒業界とも
随分つきあいが深くなってきて、
雑誌、新聞などのメディアにも
グルメ活動の一旦がたまに紹介されるようになりました。

平成14年に芝浦工業大学に転職。
これももの造りの源流主義を実践して、
技術を創るための人を造ることを
最後の職業としようと考えたわけですが、
私をよく知る仲間からは、
会社勤めから開放されて、
好き勝手をしたいからだと思われているようです。
ここらへんの背景は、
日経BPのホームページ
産学連携のコラムを連載していましたので、
そちらを参照ください 。

さて、今年の抱負について述べたいと思います。
近々、日本酒の本を出版する予定で、
正月の間も原稿執筆の最後の追い込み。
正月明けから蔵元取材の旅に行く予定です。

他にも、工学の教科書の執筆、産学連携、
官学連携の研究プロジェクトの推進、
研究室の学生の研究指導、
担当授業の期末試験などの本業が目白押し。

さらには、アマチュアバンドのライブ活動、将棋大会、
などの趣味の世界も加わり、
今年も多忙な毎日を送るはめになりそうです。

しかし、なんといっても最優先はやはりグルメ。
美味しい体験をさらに増やし、
皆様にお伝えしていきたいと思います。
美味しい思いを皆様にお届けするとともに、
日本の伝統的な食文化の継承が
絶たれようとしている問題点などを、
皆様と一緒に考えていきたいと思います。

最近の社会事情では悪いニュースが多くなっていますが、
日本伝統の美味しいものを食べることを広めて、
精神的な豊かさを取り戻すためのきっかけとして、
このコラムがささやかな貢献ができたら幸せです。

今年は1月5日から
コラム「私のスーパーグルメ術」の掲載を再開する予定です。
新鮮な美味しさ、実践的な美食の知識を
おとどけしたいと思いますので、
どうぞよろしくお願いいたします。


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