第1回
ご挨拶:「身に余る光栄と不安」
邱永漢先生が話をされる時、その一言一句を
聞き漏らすまいとして皆真剣な面持ちになる。
それは先生のカリスマ性や威厳などとは全く別次元のもので、
ごく自然にそうなってしまうのは何故でしょうか?
俗に、世間で高名な評論家や知識人と呼ばれる先生方と、
邱先生には大きな違いがあるように思います。
その違いを私なりに分析してみました。
まず第一は、邱先生のお話は自らの体験や、
超人的ともいえる行動力に裏付けされた内容のものだからです。
空理空論や曖昧なお話は聞いたことがありません。
第二は、難しい理論や難解な言葉をとにかく平易に、
だれ人にも分かり易く理解できるように苦心されているということ。
高邁な理論や専門用語を得々と話すことより、
万人に理解できる話をすることのほうが数倍難しいはずです。
第三は、先見性。予見者といったほうが正しいかもしれません。
これは先生の能力ですからだれも真似することはできません。
第四、第五…数えたらまだまだたくさんあります。
このことは一度でも邱先生の講演を聴かれたり、
著書を読まれた皆さんのほうがよくお分かりだと思います。
邱先生は政治や経済・文学・芸術などの
幅広い視点から世界を観ておられます。
「中国」に関してもあらゆる角度から論じられます。
一方、私は経済や株式市場を通じて「中国」を観てまいりました。
大局観から論じれば中国への造詣の深さは先生と比べようもありません。
先生から「中国経済や中国株のコーナーをやってみないか。」
とお声がかかった時は「ハイ」と答えてしまいました。
しかし、身に余る光栄とは裏腹に凡庸で非力な私が
大任をどこまで全うできるか不安でいっぱいです。
このコーナーをいつクビになるか覚悟の上で
私なりに「中国株」の夢と浪漫をお伝えしていきたいとおもいますが、
どうか皆様のご支援ご協力・アドバイスをよろしくお願い申し上げます。
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