第79回
お金の次に大切なものは義理人情 その2
私が長い亡命生活に終止符を打って一九七二年に台湾へ帰った時、
養鰻事業に投資してくれないかと話を持ちかけてきた男があった。
いまの桃園飛行場のすぐそばの
一万五千坪ばかりの養鰻池に私を連れて行って、
ここで鰻を飼えば、日本で二年かかるのが
気候の暖かい関係で一年で成鰻になる。
鰻のシラスを日本から輸入してきて
成鰻にするまでの飼料その他の経費を引いても、
倍にはなると口説かれた。
ならば、「儲けの半分を君にやるから、しっかりやってくれ」
と言って、シラスを買うお金を一億円渡した。
そのお金をそのまま持ち逃げされ、
本人を捉えて
ブタ箱にぶち込むのに結構、手間がかかってしまった。
裁判の結果、一万五千坪の土地を代償の一部として取りあげたが、
当時の地価で三千万円の値打ちにしかならず、
七千万円の損害を蒙った。
犯人は七カ月の刑を宣告され、刑務所に入ったが、
ちょうど蒋介石が他界して大赦令が下り、
刑期は半分の三カ月半ですんでしまった。
大金を失敬してわずか三カ月半の入獄だけですむのなら、
そう悪い商売でないと周囲の人たちが噂しているのを私はきいた。
しかし私が本当に驚いたのは、
それから先である。
牢屋から出てきた本人はしばらくおとなしくしていたが、
ある日私のオフィスに電話をかけてきた。
私は電話に出なかったが、秘書の話によると、
「センセイが桃園に持っているゴルフ用地を買いたい
という人がありますが、
私にブローカーをやらせていただけませんか」
と申し込んできたそうである。
これにはあいた口がふさがらなかった。
「よくもいま頃、抜け抜けと電話をかけてきやがって。
一体、自分が何をやったかもわかっちゃいないのか」と私が怒ると、
「センセイ。中国人は牢屋に入ってくると、
もう罪は帳消しになったものと思っているのですよ」
と秘書が私に説明をした。
目から鱗がおちるとはこんなことを言うのだろうか。
なるほどそういう目で周囲を見ると、
中国人には前科者という意識がほとんどない。
罪を犯しても牢屋に入ってくれば、
罪を償ったつもりになっているし、世間も白い眼で見たりしない。
日本人のように前科者の烙印を押され、
世渡りもままならぬ環境に追い込まれるのとは
わけが違うのである。
このおおらかさは『荘子』の中で前科者が、
小心翼々として生きている俗人よりも
自由でよろしいと誰歌している文章を思い出させる。
『荘子』の考え方は
反体制的なポーズから生まれた極論かと思ったら、
社会全体がそういう考え方をちゃんと受け入れているのである。
これも、国そのものが時の権力者の都合で運営され、
法に触れて罰せられたりする人は、
運が悪かったのだと思う風潮が世間一般に強いからであろう。
現に台湾では法を犯して裁判中の者でも、
刑が定まらない間はまだ犯人ではないから、
と平気で選挙に立候補する。
お金をふんだんにばらまいて運よく議員にでも当選すれば、
その地位を利用して法廷で戦うことも容易になるし、
裁判官もたじろぐだろうとタカをくくっている。
中華民国には立派な憲法があって、
三権分立も確立されているはずだが、
現実に起こっていることは
もっと遥かに前時代的なところにとどまっている。 |