第72回
エコノミック・アニマルとホモ・エコノミクス その2
外国人の目に最初に映った日本人は、
物をつくる日本人ではなくて、
物をセールスしてまわる日本人であった。
これらのセールスマンたちが最初に売り歩いた日本商品は、
残念ながらトランジスターなどといった
大それたものではなかった。
そもそものはじまりは衣料品や雑貨の類にすぎなかった。
たとえば、神戸市に行くと
戦前からゴムの加工をする中小企業がたくさんある。
いまでも工業用のべルトとか、
ケミカル・シューズのメーカーがわずかに生き残っているが、
戦後しばらくは、中小のゴム加工メーカーが
ゴム製のサンダルを大量につくっていた。
これらの中小メーカーは自社製品を外国に売るために
自社でセールスに行くよりほかなかった。
というのも船や化学繊維をつくっているのなら、
商社にセールスを委託することができる。
船を一隻売れば値段が高いから、
三%のコミッションをもらっても商売になる。
糸や織物は量が多いから商社としても扱い甲斐がある。
それがゴムのサンダルでは商社も相手にしてくれない。
仕方ないから、中小のゴムメーカーは
自分らでセールスマンを雇い、
アフリカや中東でリュックやトランクの中に
サンダルを突っ込んで売りに歩く。
アフリカや中東ではどこも外貨不足しているから、
サンダルのような安い商品にも高い関税をかける。
関税をまともにかけられては商売にならないから、
あの手この手で税金を逃げるようとするが、
融通のきかない税関吏だと、
「これはサンプルです」と言っても許してもらえない。
そういう経験を積んでいるうちにだんだん賢くなって、
二人組で行っても、一人はサンダルの右足ばかり、
もう一人は左足ばかり持って入国するようになった。
「これはサンプルです」と説明しても、
「嘘をつけ。商品として売るんだろう」と疑いをかけられる。
「ようく見てください。ここにあるのは全部、右足分だけですよ。
片足だけで歩けますか」
とカバンの中を全部あけて見せる。
なるほどこれでは税金をかけることはできない。
二、三日してもう一人が、
今度は左足だけ持って通関をする。
予め約束してある木賃宿で落ちあって、
「これで今度の旅費分は浮いたなあ」と胸を撫でおろしながら、
また次のセールス先に動いていく。
といったエピソードを神戸できかされて、
私は思わず胸にジーンときた。
セールスらしいセールスをやったことのないヨーロッパや
アメリカのメーカーがいくら日本人を批判しても
あまりピンとこない。
日本が閉鎖社会というのなら、
まず日本国内でセールスをやってみてから言ったらどうだろうかと
反論の一つもしたくなる。
その点、日本人は基本的に職人だから、
自分らのつくった物を自分らで売りに行く。
商社や貿易商に代理をたのむことはあるが、その場合でも、
自分らが必要としている原料や素材を仕入れてもらうか、
つくりあげた製品を売ってもらうか、のどちらかである。
日本人があまり商売人でない証拠に、商社でさえも、
外国の商品を別の外国に売る商売にはほとんど携わっていない。
たまにカナダの石油を買って、
シンガポールに売るなどといった商売に手を出したりすると、
手痛い目にあわされる。
そういう日本人をセールスマンときめつけるフラソス人は
明らかに日本人を知らない人たちと言って間違いない。
もちろん、日本人が自分らのつくった商品を売り込むことについて
仕事熱心なことはまぎれもない。
海外に駐在する日本人が夜討ち朝駆けをいとわず、
働きまくるのも定評のあるところである。
その結果、自分らの領域がみるみるおかされるようになると、
さすがのアメリカ人も方をすぼめて競争を断念するようになり、
「エコノミック・アニマル」という呼称を
日本人に進呈するようになった。 |