第69回
共産主義の一番似合わない国民 その3
ふつうどこの国でも、
農民は、工業や商業に従事している人々に比べると、
経済観念に乏しいが、中国では農民も
商人的なセンスを持っていることでは例外ではなく、
お金になるとわかれば、
耕せるところは山の頂までと耕すようになった。
もちろん、農民に商人のセンスがあるといっても、
商人たちのすばしっこさには遠く及ばないけれども、
働けば自分たちの利益につながることがわかれば、
昼夜をわかたず働きずくめに働くことをいとわない点では、
やはり中国人なのである。
農民たちを締めつけていたタガが真っ先にゆるめられたので、
これまた信じられないことだが、
農民が真っ先に万元戸への道を突っ走るようになった。
万里の長城へ観光に行ったことのある人なら記憶にあると思うが、
通り道で、お百姓のおばさんたちがミカンや桃を売っている。
自分たちがつくった果物をもいできて売っている農民もあれば、
隣村の農家から仕入れてきて売っている商人もある。
二つ三つ買っただけで、
人民元の十元や二十元はすぐとられてしまう。
日本で一個買える値段で三個も5個も買えるから、
決して高くはないが、
月給が二百元か三百元しかもらえない公務員や
教員の収入に比べたら、
一日商売しただけでたいへんな稼ぎになる。
万元戸といっても、日本円になおすと、
たったの二十万円だから大したことではないが、
十万元もあれば家が建つ物価水準のところだから、
これは社会秩序を大きく変える驚くべき変化なのである。
竹のカーテンに大きな穴をあけるこうした変動は、
まず大都会周辺の農家からはじまった。
自由市場で物を売ることができ、
高い値で売れることがわかれば、
農民はもともと生産者だから、
いくらでも増産に踏み切ることができる。
都市労働者や公務員は、農民に比べるとずっと収入は少ないが、
農民にとっては最大の市場である。
サラリーは少なくても一家で何人も働いているし、
都市は都市で、工業製品の生産に従事している者もあれば、
商業で農民以上に荒稼ぎをしている人もある。
そういう人たちが自由市場で
野菜や肉などの生鮮食品を買ってくれれば、
家を建てるくらいのお金はみるみるできてしまう。 |