中国人と日本人 邱永漢

「違いの分かる人」へのヒントがあります

第67回
共産主義の一番似合わない国民

もし世界中で一番共産主義が似合わない国民があるとすれば、
それは中国人ではないかと私は常々思っている。
中国人のように勤勉で計算高い国民が、
働いても働かなくとも同じ収入にしかありつけなかったら、
真面目に働くわけがない。

働くふりをして怠けることなら、
中国人も下手なほうではないから、
うわっ面だけ見ていると、
一糸乱れぬ挙国体制がとられているように見える。
しかし、そんなことは長く続くわけがない。
いずれメッキがはげて地金の現われる時が必ずやってくる。

そうは思ってみても、
共産主義の似合わないはずの中国が
ものの見事に共産化してしまった事実を否定することはできない。
なぜそんなことが起こったかというと、
中国人の経済活動を自由勝手に放任しておくと、
利口者が愚直な者を食い散らして、
金持ちはますます金持ちになり、
貧乏人はますます貧乏になって、
貧富の差が社会不安をもたらすところまで
深刻化してしまったからである。
だから地主と資本家を目の敵にすることによって、
共産党は国民の大半を占める農民や
都市労働者を味方につけることができたのである。

しかし、地主から取り上げた土地を国有にして
人民公社をつくっても、
また資本家から取り上げたエ場を国有化しても、
それだけでは経営は成り立っていかない。

本当の意味での経営者がいなければ、
企業は成り立っていかないし、
働く人に働く意欲を起こさせなければ、事業は軌道に乗らない。
ところが、そういうことにおかまいなく
共産党の天下になると、
政府はすべての企業を国有化してしまった。

料理屋や商店のよう小さな商売まで国有化したばかりでなく、
従業員が怠けたり、お客に突っ慳貪にあたっても
上司がクビを切ることができなくなったので、
経営の効率はみるみる低下し、
サービスは最悪の状態におちいってしまった。

自由主義諸国のように、公共性の強い業種とか、
個人や民間の手にあまる大事業だけ
国有化している社会に慣れた目から見ると、
これは明らかに行きすぎである。

必ず生産の低下とか、
非効率化という形ではねかえってくる。
四、五年前のことだったか、
ある時、家内と上海の南京西路で絲綢店(シルクの店)に入って、
「あれをとってください」と言ったら、
女性の店員がいやいやそうに織物を取り出してきて、
目の前に投げ出した。

「一メートルいくらですか?」と家内がきいたら、
「そこに書いてあるでしょう」とぞんざいな答え方をしたので、
家内は思わず声を張りあげて、
「わからないからきいているのでしょう。
それがお客に対する態度ですか」
ともっと大きな声で怒鳴りかえした。

まわりにもきこえるような大きな声だったので、
周囲の人たちがびっくりしてこちらを向いた。
さすがの店員もこれは偉い人の奥さんかもしれないと
にわかに態度を改めて、
ハイハイとおとなしく応対するようになった。

「ああいう時は、
こちらがもっと高飛車に出るよりほかないんですよ」
と外へ出てから、家内は笑いながら私に言った。

またある時、私の友人が北京でレストランに入った。
冷麺を注文したら、
長い間、待たせたあと、やっとソバが出て来たのはいいが、
箸がついていない。
「箸をちょうだい」といくら催促しても知らん顔をしている。

怒った友人は指でソバをすくって口まで運んだ。
これには支配人がすっとんで来て、
「すみません、すみません」と何度も謝った。
支配人にしてみれば、そんなことでは駄目だとわかっていても、
従業員が言うことをきかなければどうにもならない。
クビを切れればいいのだが、それもできないとすれば、
お手あげである。
つい四、五年前までは、
中国大陸どこへ行っても一事が万事この調子であった。

しかし、これは中国人がサービスを知らないからではない。
サービスをしても自分のトクにならないし、
サービスをしなくともクビになる心配がなければ、
手足が頭の命令どおりに動いてくれるのである。
その証拠に開放政策が打ち出され、
企業の独立採算制やボーナスの制度が導入されると
店員の態度が一変した。

香港でも、中国大陸の中芸とか、
裕和とかいった百貨店の店員の態度は、
香港系の店に比べると、まるでなっていなかったが、
開放政策以来、みるみる改善されて、
うっかりすると大陸系のほうが愛想もよく、
言葉遣いもていねいになった。

この一事をもってしても、
中国人がサービス業に不向きなのではなくて、
社会制度や指導者の態度に
大きく左右されるものであることがわかる。





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2012年10月13日(土)

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