中国人と日本人 邱永漢

「違いの分かる人」へのヒントがあります

第29回
日本人は職人、中国人は商人 その3

日本の士は武士の士であって、
武力を持って天下国家を手に入れた連中が
つい明治維新になる直前まで日本の国を統治してきた。
権力は世襲によって受け継がれ、
中国のように考試(試験)によって
入れかえを強要されてはいない。

どちらにも支配階級はあったが、世襲制の武士と、
考試制の官僚では中身が大きく違う。
大ざっばな言い方だが、両者の間にはお役人と武士の違いがあり、
それが西力東漸のプロセスで崩壊して一方は中華民国、
続いて中華人民共和国になり、
もう一方では今日のような日本の国ができあがった。
そのプ口セスで、両者の間できわ立った違いが生じたとすれば、
それは中国人が士農工商の中の商の分野で
次第に頭角を現わすようになったのに対して、
日本人は工の分野でその才能を
発揮するようになったことであろう。

中国人を商人的性格の持ち主としてとらえれば、
わかりやすいように、
日本人を職人気質の持ち主としてとらえれば、
日本の社会の成り立ち方や
日本の経済の発展ぶりが容易に理解できる。
一口でいえば、日本人は職人的気質の国民であり、
中国人は商人的性格の国民である。
職人は自分の仕事とか、
仕事の出来栄えに対しては一家言を持っているが、
それ以外のことについてはほとんど意見を吐かない。

国際会議に出ている日本人の演説をきいて、
日本人には主体性がないとか、
自己主張がないという批判をよくきくが、
職人に自己主張を期待するのはないものねだりであろう。
職人は政治や外交についてはもともと関心がないし、意見もない。
その代わり自分の守備範囲内の物のつくり方や
できあがった製品の完成度に関しては、
仕事熱心なだけに一家言も二家言も持っている。
職人だから出しゃばらない。
何事も親方の意見を尊重する。
国際舞台においても、同じことがいえる。
その代わり仕事の上ではよく勉強する。
研究熱心でもある。

同業者のやっていることにはふだんから気をつけているし、
人のやっていることでもこれはいいと思えば、
すぐにも取り入れる。
自分が工夫したことでも惜しまずに人に教えるし、
会社の金儲けのために応用する。
だから、料理人でも、大工でも、機械工でも、
コンピュータ技術者でも、
世間を驚かすような大発明は滅多にやらないけれども、
小さな改良や手直しを怠らないので、
消費者が喜んでんでくれるような商品が次々とできてくる。

小さな改良だからといってバカにしてはいけない。
学間的にすぐれた画期的な大発明と、
たゆまざる努力の集積である商品づくりと、
どちらがお金になるかといえば、それは商品づくりである。
日本が世界の金持ち国にのしあがった理由もそこにある。

では職人の国と商人の国とどちらが有利であるかというと、
こればかりは一長一短あって何ともいえない。
日本人と競争して勝とうと思えば、どこの国でも、
日本人よりもっとすぐれた職人を
大量に訓練する以外に方法はない。
そんなことはアメリカ人にも到底できない。
中国人にもむずかしいだろう。
その代わり、中国人には商才があるから、
すぐれた職人のつくった商品を
右から左に売ることによって利潤をあげることができる。
また自分らで一級品をつくることはできないかもしれないが、
それに似たような商品をうんと安いコストで、
大量に生産することならできる。

商才さえあれば、
人はメシのタネには困らないものである。
もちろん、職人もメシのタネには困らない。
「宵越しの金を持たない」
江戸っ子とは、簡単にいえば職人のことである。
どうして江戸っ子が宵越しの金を持たないですんだかというと、
夜が明けると必ず仕事があって
日銭に困ることがなかったからである。

明治以降、日本には会社ができて、
会社が藩の役割をはたすようになった。
戦後になると、社会全体が会社の連合体みたいな組織に昇華した。
会社の中における社員の一人一人は職人気質だが、
心情的にはサムライの集団である。
根が職人だから親方のいうことをよくきく。
しかし、心情的にはサムライだから、
利益の追求をしながらゲゼルシャフトというより、
ゲマインシャフトの体質を持っている。

こういう集団が物づくりに励めば、
その右に出る者はいないのは当たり前だろう。
滅私奉公、生命を賭けて良い商品をつくり、
利益の追求をするのだから。





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2012年9月5日(水)

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