第20回
日本人の胃袋は偉大だが、取捨選択の原則がある
そうは言っても、 日本の食べ物に慣れた日本人の胃袋は
すっかり退化して、
外国の食べ物を受けつけなくなっているかと、
そんなことはない。
戦後の食糧不足と、援助の手をさしのべたのが、
アメリカであったことが重なって、
日本人の食生活は大きくアメリカナイズされた。
パンを食べなかった日本人の間にパン食が普及し、
牛乳やバターやチーズを食べなかった日本の国で
乳業会社が何社も成り立つようになった。
ハムやソーセージやベーコンは日本人の日常の食べ物となり、
肉食は魚よりも若い世代の嗜好に合っている。
日本は世界でも最大の食品輸入国であり、
世界中の果物や加工食品で日本で手に入らないものはない。
こうした傾向から見る限り、
日本人の胃袋は何によらず消化できる偉大な胃袋である。
食べ物だけでなく、文明文化とか、技術、
芸術についても同じことがいえる。
ただし、日本人の胃袋は、
ゴミもアクタも悉く消化してしまうほど強靭ではない。
外国文化を取り入れる場合でも、
日本人には取捨選択の原則がある。
一口で言えば、日本人がその国を尊敬しているかどうか、
その国の文明を取り入れるに値いすると
思っているかどうかにかかっている。
かつて日本人にとって中国大陸はそういう尊敬の対象であった。
だから漢字をはじめ、衣食住の万般にわたって
大陸の文化をそっくり取り入れた。
平安京は長安のコピーだし、
キモノは唐の時代の中国人の服装である。
茶の湯は宋の時代に中国でハヤった抹茶の礼儀作法だし、
精進料理は大徳寺納豆
(これは納豆ではなくて醤油豆)や湯葉を含めて
留学僧が大陸の禅寺から持って帰ってきたものである。
それが長い歴史の淘汰に耐えて生き残ったのが今日、
日本を代表する日本文化になっているのである。
残念ながら、それらの出来事はすべて過去のことであって、
今日の日本人は、中国人も中国文化も尊敬していない。
それどころか、日清戦争以降は、
ヨー口ッパ人と同じ立場に立って
中国及び中国人を見くびってきた。
ヨーロッパの列強の仲間に入って
中国大陸を分け合う作戦にすら参加してきた。
長い間、中国を師と仰いできたその反動が、
日本人に我を忘れさせたようなところがある。
その分だけ心の中で中国人を侮り、
またその分だけアメリカ及びヨーロッパに傾斜していった。 |