第11回
日本人の江戸前、中国人の山珍海味 その2
不思議なことに、パン食が子供の問に定着すると、
牛乳とか、バター、チーズ、あるいはハム、
ソーセージなどの西洋風の食べ物が日本人の茶の間に持ち込まれ、
日本人の主食も副食も西洋人のそれに近づいていった。
その一方で、中国大陸に何百万人も派遣されていた
軍人や軍属がラーメンや餃子を
自分らの食べ物として日本へ持ち帰った。
なかでもラーメン(インスタント・ラーメンも含めて)
は日本人の食べ物の中でトップの座を占めるようになった。
しかし、日本人の食生活に一番大きな変化をもたらしたのは
何と言っても・パンやミルクやハンバーガーやコカコーラなど
アメリカン・スタイルの食べ物である。
これはもちろん戦後の一時期、
日本がアメリカによって占領され、
戦後の復興の過程において、
日本人がアメリカの文化や
ライフ・ス夕イルに最も傾倒した結果であろう。
食べ物は文化の中の重要な部分であり、
その国の人たちが何を食べているかを見れば、
その国の人が何を志向しているか、おおよその見当がつく。
ただ、「飢えては食を選ばず」の時代から、
ともかく食べ物に不自由しないところまで辿りつくと、
日本のインテリたちは「脱アメリカ」の方向へ
舵を切りかえはじめた。
大きな意味での西洋崇拝熱に変化はなかったとしても、
アメリカの事情に通ずるようになった分だけ
アメリカに批判的になり、
またその分だけヨー口ッパに傾斜するようになった。
というのも、アメリカはもともと移民の国で、
ヨー口ッパ中の食いっぱぐれが集まったようなところがあるから、
料理のまずさには定評がある。
最高の魚料理で鍛えられてきた日本人の舌は、
たちまちそのことを見破り、
少なくともグルメを自認する人々は、
アメリカ料理を全く受けつけなくなってしまったのである。
日本人はすぐにも西洋料理の頂点は
フランス料理であることに気がついた。
料理の研究に熱心な若い人たちはアメリカに行くのをやめて、
フランスに留学するようになった。
いまの日本の若い料理人にとって、
料理といえばフランス料理である。
中華料理のことでもなければ、日本料理のことでもない。
なぜそうなったかというと、明治からこの方、
日本人は西洋文化を吸収することに熱心で、
中国、その他アジアの発展途上国から
学ぶことは何もないと思うようになったからである。
そうした西洋文化の頂点にフランス料理がある。
だから学ぶとすればフランス料理であって、中華料理ではない。
仮に蒋介石の軍隊が戦後の日本占領に加わっていたとしても
結果は同じだろう。
日本文化と呼ばれるものはほとんどが外来文化であるけれども、
その取り入れ先は時代によって大きく変わる。
明治以来の日本人の眼中には欧米文化しかないのだから、
フランス料理が日本人によって研究しつくされたら、
この次はフランス料理が
日本料理の中に吸収されてしまうに違いない。
日本人の味についての素質は高いと私は言ったが、
それは日本人がふだんからいい素材の物を
食べ慣れているからであって、
日本人の調理レベルが高いという意味では必ずしもない。
まして日本人がふだんから賛沢な食事に
慣れてきたという意味でもない。
どちらかといえば、日本人の食卓は
長い間中国人のそれよりずっと見すぼらしかった。
調理の方法も単純だった。
時の権力者の食べる物と、
貧乏人の食べる物に大きな区別はなかった。
藩主の食膳に並ぶものと、
足軽の食膳に並ぶものには鯛とサンマの違いはあったけれども、
共に近海でとれる魚であることに変わりはなかった。 |