中国人と日本人 邱永漢

「違いの分かる人」へのヒントがあります

第9回
魚の食べ方で生い立ちの違いがわかる その3

酢のはじまりはもちろん梅酢である。
梅林に囲まれて生活したことから身についた
生活の知恵のような気がする。
「塩梅よくする」という日本語があるように、
塩と梅が一緒になれば、酢ができる。
その酢を使って魚や野菜の味つけをするのが
日本料理の原点であり、それが連綿として
日本人の生活の中に受け継がれてきたのである。

ところが、中国人は同じ米食民族であっても、
コメを手で食べる習慣がないし、
スシや握りメシのように手で丸めて食べる習慣もない。
また酢という調味料は古くからあるけれども、
料理の中に酢を使うのは、
いわゆる酢豚(古魯肉)をつくる時とか、
魚の丸揚げに酢っぱいタレをかける紅焼魚とか、
松鼠魚をつくる時くらいなもので、
国民一人当たりの酢の消費量は日本人に比べると驚くほど少ない。

当然のことながら、酢の使い方も日本人ほど巧みではない。
また魚をナマのまま食べる習慣もない。
広東省の艇家が唯一の例外だとすれば、
日本人のルーツはもしかしたら、
艇家と結びつくのではないかという気もしないではない。

もっとも、中国人が魚をナマで食べないのには
それなりの理由がある。
まず魚を新鮮な状態で手に入れにくかったということもあるし、
肝臓ジストマのような寄生虫に苦しめられた経験もある。
水をナマで飲めない地域に住んでいる人々が、
火を通さないで食物を口に入れることなど想像外の出来事である。
そういう環境に育った中国人からみれば、
魚でも野菜でもナマのまま口に入れられること自体驚きである。

だから、サシミを目の前に並べられて、
「おいしい、おいしい」といってとびつく中国人よりは、
「いや、遠慮します」といって
箸をつけない中国人が多いとしても少しも怪しむに足りない。


中国人を日本料理屋に案内する時は、
まず「おサシミはお召し上がりになれますか?」
ときくことである。
「大好きです」という人には自分らと同じものを出せばよいが、
お互いに顔を見合わせたり、首を横にふったりする人には、
しっかり火を通した他の料理を出すだけの心遣いが必要であろう。
もちろん、魚はナマで食べるほかに、焼いたり、煮たり、
蒸したり、揚げたり、といろいろな調理法が考えられる。

干した魚を料理する方法もあれば、
塩辛のように発酵させる料理法もある。
魚の料理に関する限り、日本料理にないものはない。
日本人はサシミにしておいしい魚はサシミにするし、
小骨があってサシミにできない魚は、焼いたり煮たりする。

そういう小骨の多い魚は結構たくさんあるから、
それを食べようと思えば、先が尖っていて、
小骨を巧みに分けられる日本箸に限る。

日本で箸がそういう形のものになったのも、
「必要は発明の母」だったからに違いない。
もしそうだとすれば、中国人の箸は、
肉を食べてきた人たちの箸である。
また長いのも自然にそうなったものである。

最近は円卓の上にクルクル回る丸い台がおかれるようになったから、
テーブルの向うの皿まで手が届かないという心配はなくなったが、
べアリングを食卓に応用することを思いつくまでは、
少なくとも中国では箸が長くなければ、
食べたい物にも手が届かなかったのである。





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2012年8月14日(火)

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