第82回
蛇口工業区で復活した招商局、インフラ分野で本領発揮
招商局集団はもともと、
上海と香港に
同程度の規模の本部を設置していました。
中華人民共和国成立後、
招商局上海と招商局香港は
統合と分割を繰り返して、
様々な再編を経て、
現在、基本的には香港を拠点にしています。
香港にも拠点を持っており、
実際に香港でも積極的な事業展開をしている、
政府交通部(国土交通省)直轄の国有企業、というのは、
少なくとも中華人民共和国成立後の一定時間内は
かなり微妙な立場であったことは
想像に難くありません。
当時、香港は
まだイギリスの植民地であり、
今ほど、中国本土と香港は
密接な関係にはありませんでした。
「交通系(中華民国時代の交通部の一大勢力)」
のトラウマを引きずっている
中華人民共和国政府は、
交通部と深い関係のある招商局集団に対して、
「敬して近づけず」
という待遇を築き上げたといえます。
そんな招商局集団に転機が訪れたのは1979年。
この年、中国では
「改革開放」が実質的にスタートします。
新しい時代に合わせて、
インフラ整備が急務となり、
特に産業の活性化が必要になってきたとの判断から、
国の主導による工業パーク建設が
ラッシュを迎えようとしていました。
その代表的なものが蛇口工業区で、
実際にその建設や運営を任されたのが
招商局集団です。
蛇口は広東省深セン市の
南頭半島の東南部に位置します。
深セン市が経済特区に指定されてから、
産業や物流面でのニーズが高まり、
蛇口工業区が設立したといえます。
その運営母体は蛇口工業区有限公司で、
1987年に設立しましたが、
当然、招商局集団の傘下にあたります。
B株上場銘柄に
招商局蛇口控股(マーチャンツシェコウ、200024)がありますが、
蛇口工業区有限公司は、
その筆頭株主になります。
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