第1回
種字林誕生物語
私は番人・・・。
そう私は現在、中国北京の三全公寓というマンションの
1階にある中国アンティーク家具店「種字林」の
「番人」上田尾一憲です。
「番人」と言っても実際は邱永漢先生の秘書を務めるかたわら
その「種字林」にて中国アンティーク家具、民芸品
たとえば、少数民族の刺繍、農民画などの
収集、保善、管理、販売、の仕事をしています。
「種字林」「しゅじりん」と読むのですが
初めて聞いた人は何のことやら
わからないと思います。
インターネットで検索してもここ北京のお店が
検索されるくらいですので
まあ、わからないのが普通でしょう。
では、なぜ「種字林」と名づけられたのでしょうか。
「種字林」の名づけ親は邱永漢先生なのですが、
その名前には深~い意味と先生の思い出が
いっぱい詰まっているんです。
これから先生と「種字林」の曰く因縁についてお話しようと思います。
先生と「種字林」の出会いは、
ある書籍に目を通していた時に一つの故事に出会ったことから
始まりました。
その故事の内容はこうでした。
むかしむかし、中国は清初期のころ・・・。
揚州(江蘇省中西部の都市)に
呉綺と言う名の文人がおりました。
彼はかつて兵部(軍事部)の主事を務めていたり、
湖州(江蘇省北部の都市)の知事を任せられたこともあったりと
そこそこ地位の高い役人であったのですが、
正直すぎるところがあって、
周りの人から弾劾を受け、職を奪われ自分の故郷である
揚州に帰る破目におちいってしまいました。
故郷に帰った呉綺はそこでとてもとても大きな庭のある
家に住んだそうです。但し庭といっても何もなく
だだっ広いだけの空き地と言ったほうがいいかもしれません。
なぜその様な場所に住む事を決めたかというと、
この人はとても木が好きで
そこに自分の好きな木を植えて綺麗な林に
しようと考えていたからです。
(次回へ続く)
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