私たちが結婚したことは、地元香港の新聞にも報ぜられている。それが不首尾に終われば、世間的には「悪い男にひっかかった」ですむ話かもしれないが、そういう男にひっかかったという汚点が最後まで残ることに変わりはない。そうなったら、香港の人は娘をアメリカとか、オーストラリアとか、遠いところに嫁がせる。人の噂にものぼらないところにやれば、秘密を守りとおすことができるからである。
しかし、現実はまだそんな泥沼の状態にまでおちこんでいるとは思えなかった。兄弟たちが私と喧嘩になって、その腕につかまれて実家に連れ戻されただけのことであって、家内が私に愛想をつかしたわけではない。二十何年も一緒に暮らしてきた兄弟たちと、たった二ヵ月前に知りあったばかりの、未知数だらけの他所者の間に挟まれたら、兄弟たちに引張られて帰ったとしても別に不思議なことではない。
埒のあかないままに、みんなでがやがや言っていると、阿二姐が突然、何も言わずに私の家から出て行った。しばらくして戻ってくるなり、
「三姑娘を連れてきました」
と私に言った。
「どこに?」
「途中までです。あすこの曲り角まで来ています」
「どうして途中までしか来ない?」
「そうおっしゃらずに、行ってあげて下さい。且那様と二人だけで話をしたいとおっしゃっています」
私はすぐに椅子から立ち上がった。そうだ、二人の間のことだから二人で話せばすぐにも片のつくことである。二人の間によけいな雑音が入っているから、ややこしくなっているだけのことではないか。
私は一人で家をとび出した。路地を抜けて金巴利道(キンバリー・ロード)の広い通りに出ると、メルボルン・ホテルのそばに彼女が一人ぼっちで立っているのが見えた。思わず私は大股になった。
あの時ホテルの前の歩道でどんな話をしたかはまったく覚えていない。本当のところ、二人だけになればお互いに意地を張ったりする必要のないことであった。そのまま私は彼女を家に連れて戻った。おかげで焼豚が無駄にならず、ギリギリのところで潘家に担ぎ込まれた。お使いに行った男たちはお祝儀を私のほうからも、向うの家からも貰って大喜びだった。 |