そういうところへ嫁入道具が運び込まれてきた。趙太太は女家から届けられた装飾品の小箱をあけた。その中には私がプレゼントした三カラットのダイヤの指輪や真珠の首飾りや新しく買って贈った対になった純金の腕輪も入っていたが、趙太太はそれを脇へどけて、「見てください。なんて少ないんでしょう。知らないと思ってバカにしていますわね」と減らず口を叩きはじめた。
彼女に言わせると、女家は少なくとも男家から贈られた物に相当するだけの嫁入道具を持参するのがしきたりになっている、そうしないのは相手をなめてかかっている証拠だ、と言うのである。そばできいていた私の姉は、土地の風習はまったく知らないけれども、言われてみれば、そうかもしれないと思うようになった。もちろん、装飾品の小箱の中には、彼女の家から来たダイヤの指輪や、ダイヤの腕輪や真珠の首飾りもまじっている。ただ私が彼女に贈った物に比べると、かなり見劣りがするというだけのことである。
しかし、それは私が少し気前よすぎたということで、彼女の家がケチすぎるということではなかった。ただ口さがない女たちにかかると、それが無神経なことだったり、こちらをバカにしたことに映ってしまうのである。たとえば、私が新しく買ったベッドがツインになっているのに、なぜシーツやフトンやマクラは一つしかないのか、とつまらないことにまで文句が出てくる。
「黙っていると、なめられてしまいますから、使いの物の目の前でそれを言ったほうがいいですよ、そうしたら向うの耳にも入りますから」と趙太太は言った。
私は結婚がこんなにも物質的なものかと驚きをかくせなかった。しかし、私の姉は弟がバカにされるくらいなら、どうせ自分はこの土地にいないのだから、憎まれ役を買って出てもよいと言って、使いの者の前で不満を述べた。
話はたちまち女家に伝わり、潘家の兄弟たちはいきりたった。もし婚約を発表していなかったら、この結婚は解消してもいいと家中で怒鳴っているときかされた。こんな時は、本人同士の意志は無視されて、家族ぐるみの集団エネルギーが勝手に爆発する。そんな息苦しい空気の中で結婚式の日を迎えたのだから、私が元気なわけはなかった。 |