胸突き八丁の伝統的な広東式婚儀

話をきいているうちに、香港の人たちはずいぶん取越し苦労をするものだなあと改めて驚いた。
しかし、そうしたアドバイスにもめげず、私は知り合いになってから三週間あまりのエイプリル・フールの日には婚約をした。また五月十日には結婚式をあげるという性急なスケジュールを組んだ。これは私の性格からくるものだろうが、私は「思ったが吉日」の信奉者で、何事もただちに実行しないと気がすまないほうである。この時も電光石火のやり方をした。のちに日本で小説家になった私のところへ、まだ小金馬を名乗っていた金馬師匠がマイクを片手に、私の家にインタビューに来たことがあった。小金馬さんの質問の仕方からいち早く雲行きを察したうちの家内は、小声で私に、「速成(ツオッセン)は日本語で何と言うの?」ときいた。まだインスタントという言葉がなかった頃だったので、私は「ソクセイというんだ」と教えた。
やがて小金馬さんが、「すると、奥さん、センセイとはやっぱり恋愛結婚ということになりますね」とマイクを家内の前にさし出した。家内はすかさず、「いいえ、ソクセイ結婚です」と答えて大笑いになったことがある。
他所の土地へ行って、風俗習慣のまったく違う土地の人と結婚をするのは勇気の要ることである。その煩わしさを物ともせず、私がそれに踏み切ったのは、私が若かったせいもあったし、一寸先が見極められない亡命者であったせいもあった。考えてみれば、家内のようにあれだけ香港に親戚知人も多く、人間関係のアミを広く持った家の娘が、よく素性の知れない私のプロポーズに応じてくれたものだと感心する。
しかし、それから結婚に辿りつくまでが胸突き八丁であった。比較的自由な家風と思っていたが、そこは伝統的な広東人の家柄だから、いざとなると、古いしきたりがやたらに顔を出してきた。婚約式から結婚式、そのあとの里帰りに至るまで広東式の七面倒臭い段取りを一つ一つ要求してくる。たとえば、婚約一つするのにも、過文定(コオマンテン)とか、過大礼(コオタイライ)といったプロセスがある。商取引にたとえれば、過文定は仮契約の調印式、過大礼は本契約、そして、結婚式が契約の実施日とでも言ったらよいだろうか。
過文定の時日がきまると、その日に男の家から女の家に届けるべき物のリストが送られる。いまそのリストは手元にないが、たとえば海産物は干鮑魚四斤、貝柱四斤、干蝦四斤、スルメ四斤、またお茶は四斤、鶏は何羽、豚肉は何十斤という具合である。結納金は形式的なもので、いまの時代はもらわないでもよいのだが、一応、千ドルということにしてくれ、その代わり自分のほうは何らかの形でその分はお返しする。菓子箱は親戚中に配るので、百箱いただきたい。ただし、以上の物はすべていただくわけではなく、一部はお返しする。何をどれだけ返してもらいたいかについては、あらかじめお知らせいただきたい、と人を通じて言ってくる。

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