香港に魅せられて、うわの空

当時、台湾の人たちがパスポートなしで行ける外国は香港だけだった。阿片戦争のあとの中英協定で、中国人は香港に自由に出入りできるように取りきめられていたからである。しかし、人目につく台北の松山飛行場から香港にとぶのは危険だと思った。調べてみると、台南市から香港にとぶ便があった。私は銀行の研究室には「親から見合いのことで呼ばれているので」と言って、一週間の休暇をもらった。台南の家へ戻ると、家に一晩泊まっただけで「銀行の用事でもっと南のほうへ行くから」と言って家を出た。その足で台南市の飛行場に行ったら、運の悪いことに、ロンドンに行く知人を見送りに来た許武勇さんの兄さんとばったり顔を合わせてしまった。「どこに行くのですか?」ときかれたので、私も「人を見送りに来たのです」と答えた。しかし、最後まで控え室に頑張っていた私も、最後には腰をあげて飛行機に乗り込む行列のあとに続くよりほかなかった。飛行機に乗り込みながら、私はあの人が私の台南から香港にとんだことを口外してくれなければいいのだが、と心の中で祈った。
私を乗せたCAT(中華航空の前身)の飛行機は、途中、台風にあって香港へ着陸することができず、厦門で一夜を明かした。任務が任務だけに、中国の領内に不時着するのは心細い限りだった。ホテルの窓を開けると、隣りの屋根の上にお月さんがポッと浮かんでいた。まだ何もやっていないのだし、自分がこれから何をやろうとしているのか知っている人もいないのだから、そんなに心配をすることはないと自分に言いきかせながら、眠れないベッドの上で輾転反側した。
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