私を殴った憲兵曹長は、多少うしろめたい気持になったのか、私を殴ったあとで自分が配給でもらったアンパンを私の前にさし出して、「おい、食えよ」と言った。私は留置場の中で何日もひもじい思いをしたあとなので、遠慮せずにガツガツと食べた。もういくらおどしたりすかしたりしても何も出てこないことは向うにもわかっていた。その日から私に対する態度がだいぶやわらいだ。
生意気なことを言うわりには、憲兵隊につかまった私は思いっ切りが悪かった。一日目や二日目は私も志士気取りだったが、日にちがたつにつれてだんだん弱気になってきた。私のつかまった日、許武勇さんはあわてて階段から下までころげおちたが、私がつかまったことを知っているのは彼しかいない。ちゃんと北山教授に知らせてくれただろうか。また目白の女子大に行っている妹の孝子に知らせてくれただろうか。北山先生が宇都宮憲兵隊の隊長と懇意にしていることは北山先生自身の口から聞いていた。先生が手をまわして私をこの牢屋から出してくれないだろうか。私にとって頼りにできる人はほかにまったくいなかったから、すっかり他力本願になっていた。
丸太ん棒で仕切られた留置場の中は、どの檻の中も満員だった。一つ檻の中に二人いれられているのもあって、ほとんどが統制令にひっかかったヤミ屋さんだった。私一人だけが思想犯で、ほかの人より格が上なのか、それともヤミ屋と一緒にできないと思ったのか、最後まで独房だった。入口に立った若い兵隊さんが中をのぞきこんで、若い私を見ると、
「おい。学生か?」
と聞いた。
「ハイ。学生です」
と頷くと、
「どうせたいしたことじゃないだろう。いまに誰かが貰い受けにきてくれるから、もう少しの我慢だ」
と励ましともつかぬ声をかけてくれたりした。
つかまってからちょうど一週間目がきた。呼び出しがかかったので訊問室に入ると、机の上に風呂敷に包んだ私の荷物がおいてあった。
「もう帰っていいんだ。しかし、帰る前にこの誓約書に署名をしてから帰れ」
見ると、今後スパイの摘発に協力をしますといった類いの文面がしたためてある。私は黙って空欄のところに自分の名前を書いた。仮に私に誰がスパイをしているかわかったとしても、知らん顔をすればいいんだと自分に言いきかせながら。
風呂敷包みを片手に、私は憲兵隊の外へ出た。九段は桜並木のあるところだが、ちょうど桜が満開に咲いているところだった。あんなに桜が美しいと思ったことは前にも後にもない。目の前がパッと明るくなって、「ああ、自由っていいなあ、なんて空気がおいしんだろう」と歩きながら何度も何度も深呼吸をした。憲兵隊に一週間入れられている間に、私の着ているシャツやパンツは虱だらけになっていた。下宿に帰ると、お婆さんたちはびっくりしながらも、「よかったわね」と言って私を迎えてくれた。すぐに私の服を脱がせ、お湯を沸かして熱湯をその上からかけて虱退治をしてくれた。私は減らず口を叩いただけで何ら世の中のためになることをしていないのに、牢屋に一週間入れられたというだけで、なんとなく自分が一まわり大きくなったような気がした。
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