「骨董ハンター南方見聞録」の島津法樹さんの
道楽と趣味をかねた骨董蒐集の手のうち

第139回
<とぴっく10>
アジアのリッチマン<韓国編>―韓国ビジネス、ここを突け!

李朝初期白磁壺

「さぁ、あなたに見てもらいたいものがある、
 と言ってましたが…?」と頼りない。
金さんと学芸の人が話し合って、
とにかく作品を僕がチェックすることになった。
李会長は僕の訪問目的を誰にも話していなかったようだ。

内装工事中の美術館の収蔵庫へ案内された。
そこには山ほど焼き物、絵画、彫刻などが置いてあった。
僕の専門分野の陶磁と石彫を見たが、
どれもこれも大した物ではない。
日本の掛け軸が四、五百点くらいあったが、
これも偽物か、つまらないものばかりであった。
僕は丸2日掛けて仕分けした。
展示になんとか耐えられるもの、だめなもの、
時代区分、どこに置けばよいのかなど細かく意見をまとめた。

その間、李会長は一度も顔を見せず、
時々奥さんと息子さんが覗きに来るくらいであった。
会長はどうやらソウルに行ってしまったようだ。
僕の鑑定内容を会長に伝えてくれるように奥さんに言った。
するとしばらくたって秘書が
「夕方ソウルから帰ってくる」と伝えてきた。

最上階、ゲストルームの入り口に
李会長が三人の秘書を従えて現れた。
会長が靴脱ぎのところに立つと、
男性秘書がさっと屈み込み靴の紐を解いて踵を持ち脱がせた。
会長は当〜然という感じで、屈み込んだ秘書に目もくれず、
にこやかに僕のほうへ近づき、
「先生、ご苦労様」と言いながら手を差し出してきた。
我国の初期資本主義時代のオーナー社長の姿をそこに見た。

「李会長、ここにリストを作っておきました。
展示の方法も学芸の方と打ち合わせ済みです」と言った。
「よいもの、ありましたか?」と訊かれたので
「この品揃えで美術館は無理です。
 それに日本の掛け軸は全部だめですね」と言ったら
「それはどういうことですか?」と物凄く険しい顔になった。
横にいる秘書に「学芸のものを呼んで来い!」と言ったようだ。

「困ったな〜。学芸の人を困らせてもな〜」と思っていると、
緊張した面持ちで学芸員が入ってきた。
「彼がああいっているがどうなんだ!」
と、先程言った僕に対する敬称を省いて彼を攻め立てた。
「会長のご指示で、第1室の物だけをお見せしました」
と、学芸が言った言葉を金さんが僕に通訳した。
会長の顔が急変し優しくなった。
「先生ご苦労ですが、明日もう一日鑑定してくれませんか」
と言うのだ。
「李会長、出来れば今から見せていただけませんか?
 夕食はいりませんから」
奥さんがしきりに薦めるディナーをキャンセルして
第2室の収蔵庫に行った。
そこには韓国、中国、日本の陶磁の名品がずらっと並べてあった。

どうやら僕はテストされていたようだ。
第2室の作品を年代や表示の間違いなどを調整してまとめた。
そして翌日李会長に報告した。
「ありがとう。よくやってくれました」と言って、
机の引き出しから煉瓦くらいの厚みのある札束を出して
「ソレッ」という感じでくれた。
「先程奥さんから交通費だと言って
 500万ウォン(50万円)をもらった」
と通訳の金さんが言っていた。
もう十分にもらっているので丁寧に断った。
すると「家内は家内。鞄に入れろ」と荒れ模様となった。
それでも断ると本当に怒り出した。
「ああ言っているから受け取っておいたほうが良い」
と息子も言う。
仕方なく煉瓦くらいの札束を受け取った。
後から数えると1000万ウォン(100万円)あった。
商売では、むちゃくちゃきついのに
こんなところでは結構気前が良い。
家長的な施しの精神が旺盛なのだ。

李会長とはその後、急にカンボジアについて来いと言われたり、
とんでもない時間に出て来いと言われたり、
使用人に対するようなオーダーが来た。
リズムが合わないので僕は彼とのビジネスを避けた。
今韓国ではこんなタイプのオーナー社長が
自分のための美術館をあちこちで作っている。
日本では殆どの会社が組織的に動いており、
こんな王様のような経営者が少なくなっている。
ちょっとオーナー風を吹かせ、
美術品の買い付けでもやれば、
ある電力会社の会長のようになってしまう。
韓国とのビジネスは個人対個人付き合いが大切で、
この辺のところを考えてやると成功するだろう。


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