第105回
商品学(インド編)
バーミアンの巨大石仏のルーツはここー石材ビジネス
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5世紀グプタ・マトゥーラ派仏立像
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アフガニスタンからパキスタン北部、北部インドに掛けて
勢力を誇ったクシャン朝(AD45年〜250年頃)が衰退してゆくと、
それに変わって北インドを統一したのは
グプタ朝〈320〜520年頃〉である。
グプタ朝における仏像彫刻には二つの大きな派が見られる。
ひとつは現在のアグラ近くのマトゥーラにあった
仏師たちの工房である。
彼らは近くのシークリー山の赤色砂岩を主として用いた。
もう一派はサルナート派と呼ばれ、
前回(104回)説明した集団である。
グプタ・マトゥーラ派の作品は画像にもあるように、
通肩に纏った衣を通して体の線が浮き上がって見えるが、
衣の襞を身体全体に彫り表している。
画像のこの作品は5世紀前半の作で、
マトゥーラ博物館を代表する
グプタ・マトゥーラ派の作品である。
ここで製作された像は
インドの仏像彫刻の一方の源となったものである。
その後この様式は北進し、
アフガニスタンのバーミアンや中国の仏像彫刻にも
大きな影響を与えている。
僕の専門分野である
東南アジアの古代モン・ダバラバティの仏像などは
グプタ様式の強い影響を受けている。
この様式はさらにシルクロードを通り、中国に至る。
そこで中国風に変化するが、
衣の線や半眼、羅髪などグプタ様式を残しながら
さらに発展していった。
それが朝鮮半島を通り、日本に伝わっている。
但し、中にはダイレクトに中国から伝わったものもあるので
その様式は一様ではない。
日本の仏像を遠いインドの仏像彫刻と
比較しながら鑑賞して見るとおもしろい。
先年爆破されたバーミアンの巨大石仏について一言。
タリバーン達はまるで石仏の所有権が
自分達にあるかのごとく振舞っていたが、
遠い歴史の中で様々な人たちがかかわって出来たものである。
ところでこの一帯で産出される赤色砂岩は
殆ど日本では使用されていない。
巨大な寺院やデリケートな掘り込みを必要とする
仏像彫刻にも用いられる良質な砂岩がたくさんある。
何とかこれを活用する方法はないものか。
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宮殿補修
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