| 第124回「やばうま」とはなんだ!
 世の中には、「申し送り」というものがある。身近なところでは前任者の申し送りを受け、
 事務処理上のさまざまな引き継ぎ事項を伝達される、
 という例がそれだ。
 この申し送りがスムーズにおこなわれないと、
 前任者と後任者との間に断絶が生まれ、
 場合によっては仕事のうえで著しい混乱と不利益を招く。
 私たちには、仕事上の申し送りだけでなく、前の世代の言葉や文化を引き継ぎ、
 次の世代に正しく伝えるという責務がある。
 その申し送りの役割を担っているのが、主に家庭と学校だ。
 私は親のやるべきことは二つだけでいいと思っている。
 子に「行儀」と正しい「言葉づかい」を身につけさせることだ。
 簡単なことである。
 ところが、たったこれだけのことが満足にできていない。
 街で、若者たちが盛んに「やべぇ!」という言葉を使っていた。ついでに「すげぇ!」という言葉も連発していたから、
 はやり言葉の一つなのだろう。
 それにしても、なんとも耳障りな言葉だ。
 言葉の発信元をチラと見たら、
 ズボンをずり下げた今風のヒップホップなお兄ちゃんで、
 頭の中身はそうとう“やべぇ状態”に思えた。
 「やべぇ!」はもちろん「やばい」からきていて、
 「ヤバい」はもともと危険、不都合な状態を表す隠語、
 それもやくざや盗人が使う言葉であった。
 その「やばい」が今、大変やばいことになっている。90年代に入って、180度意味が転換し、不都合どころか好都合、
 「優れている、すごい」の意味が派生してきたのだ。
 だから街のミーチャンハーチャンは、
 ラーメンをひと口啜っては、
 「やばうまッ!」なんて叫んでる。
 めちゃくちゃうまい、という意味だ。
 近頃は、中年おやじまでもが、
 得意顔で「やばうまッ!」などと叫んで悦に入っているのだから、
 世も末というべきだろう。
 一方で、俗流平等主義がはびこると、小学児童までもが先生に友だち言葉で話しかける。
 自国語に誇りを持つフランスでさえ、丁寧語が消え、
 教師と生徒、上司と部下との区別がつかなくなり、
 社会的な混乱をきたしているという。
 世代から世代へと、正しい言葉を引き継がないと、
 そこには必ず歴史文化の不連続が起きる。
 《祖国とは国語だ、それ以外の何ものでもない》
 とはシオランの言葉だ。
 自国語をないがしろにする国は、
 国家のアイデンティティが保てず、早晩亡んでいくことだろう。
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