第101回
「個」の無い国
近頃の女子中学生のメールの中身はこんな具合だ。
「メールぁんがとぉ!ホントぉ久だね。
学校わ楽しいけど、明日から合宿でまぢ最悪。
でも今はヒマでねっ=3。夜とかENJOYしない?ではA」。
これなどはごくふつうのほうで、
過激なものになると
仲間同士だけに通じる符丁や絵文字を使うため
ほとんど理解不能となる。
なぜこうした特殊な表現を好んで使うのかというと、
おそらく仲間の連帯意識を確認するためだろう。
ヤクザ社会や色街、相撲界、芸能界といった特殊な閉鎖社会
――身近なところでは“シマ”と呼ばれる築地魚河岸などにも
そこでしか通用しない用語、
すなわち符丁や隠語のたぐいがたくさんある。
子供の世界も、見方によっては
ある種の閉鎖された「シマ社会」ということができる。
子供たちが仲間内だけに通じる隠語を使いたがるのは、
グループ内の求心力を高め、
他のグループとの違いを鮮明にするためだ。
その違いが大きければ大きいほど仲間意識は強まる。
子供たちが一番怖れるのは、
どのグループからもはじき出され、孤立してしまうことだ。
欧米の子供たちの多くは、
「人は人、自分は自分」という個の自覚が強いため、
むしろ他人と違う意見、
他人と違う服装、
他人と違う行動をすることに
アイデンティティを見出そうとするが、
日本の子供たちは逆で、
いつも仲間と同じようなカッコウをし、
同じようなしゃべり方をし、
一緒にツルんで行動することに安心感をおぼえる。
小中学校時代、通信簿の所見欄に毎年判で捺したように
「協調性なし」と書かれた私などは、
ご先祖さんにへそ曲がりのフランス人の血でも混じっているのか、
人と同じことをするのが生理的にきらいで、
クラブ活動も陸上や水泳など個人スポーツばかりやってきた。
そんな個人主義的な性格のせいか、
野球やサッカーの応援団が
“かっ飛ばせぇ、キ・ヨ・ハ・ラ!”だとか
“オーレーオレオレオレー”などと、
一糸乱れぬ振り付けで応援する光景を見ると、
何とも名状しがたい違和感を感じてしまう。
応援もいいけれど、どうして群れ固まるわけ?
なぜラッパや太鼓が必要なの?
どうして静かに観戦できないの?
いつもみんなと同じ、という画一的な“盆踊り文化”に
どうしてもなじめない私は、
「個」が「孤」につながりかねない「ムラ社会的体質」に、
どこか息苦しいものを感じている。
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