誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第98回
お腹をひっくり返す

私は多くの料理人を知っている。
かつて人気テレビ番組で「鉄人」と呼ばれた者たちはもちろん、
「名人」「達人」「街の巨匠」
などと呼ばれる男たちも知っている。
一料理人としての彼らの素顔は、
一部のハネっ返りを除けば、
総じてまじめで、ひたむきで、地味な苦労人が多い。
テレビや雑誌は寄ってたかって名人上手と褒めそやすが、
まっとうな料理人は当然ながら冷めた意識をもっていて、
おのれの分際というものをよくわきまえている。

料理は胃袋に収まるまでの「瞬間芸術」なのだ、
と皿をカンバスに見立てる
芸術家気取りの料理人をしばしば見かけるが、
私は大枚払って芸術作品を食べたいとは思わない。
食べたいのはコストに見合ったただのうまい料理であって、
アートなどではないからだ。
この手の自惚れ屋さんに較べれば、
《私は芸人で、決して芸術家じゃアありません。
 別に術は使いませんから……》
と、とかく出しゃばりたがる衒気をねじ伏せ、
とぼけて見せた圓生のほうがはるかに粋だ。
勝手に芸術家を気取るのはいいが、
料理人ふぜいが、おこがましいのである。

私はあえて料理人ふぜいといった。
そう、役者ふぜい、力士ふぜい、タレントふぜい……
いくらでも言う。
もちろん私などは、はしくれもはしくれ、
末席を汚している物書きふぜいといったところだろう。
「分際を知れ、分際を!」という言葉がある。
いくらテレビの人気者で、
高級車を乗り回すような身分になったとしても、
料理人は分際を知らなくてはいけない。
巨匠などと呼ばれてその気になり、
「素材にはめっぽうこだわってます」
などと苦心談を語り出したらオシマイなのだ。

いかな能無しでも20年、30年同じことをやっていれば、
少しは上手になるだろう。
そんなことは、どんな仕事でも当たり前のことで、
ことさら自慢することではないのだ。
「床屋もすなる苦心談」
と揶揄したのは山本夏彦翁であるが、
その伝でいけば、
便所掃除のおばちゃんにだって苦心談はある。
名人達人と褒めそやされると、客がバカに見えるのか、
見下ろすような横柄な態度をとる料理人がいる。
犬もしつけを誤ると、
人間よりも偉いと勘違いしてしまうという。
「権勢症候群」というのだそうだ。
それを治すには、
あごをつかみお腹をひっくり返すのが一番だという。
近頃、お腹をひっくり返してやりたくなるような料理人が
多すぎやしないか。


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