第96回
肉ジャガによろめく
おふくろの味というと、
バカのひとつ覚えのように「肉ジャガ」という者がいる。
芋の煮ころがしならともかく、肉ジャガだけはいただけない。
まずいのだ。
私は和洋中の料理はひと通りこなすが、
肉ジャガはまず作らない。
基本的に自分のきらいなもの、
酒のつまみにならないものは作らない主義だから、
女房が気まぐれで作ってくれないかぎり
食卓にのぼる機会はまずない。
ところが多くの日本の男たちは、
肉ジャガと聞いただけでコロリと参ってしまい、
急に里心がついてしまったみたいに
「おふくろ、おふくろ」と騒ぎ出すのだ。
長女がイタリア留学した折、ホストファミリーの家で、
日本食を披露する機会があったのだが、
肉ジャガだけは受けがわるかった。
当然だろう。
調理経験の乏しい娘が作ったせいもあろうが、
調理歴20年の私が作ってもまずいものはまずい。
イタリア人とて思いは同じなのだ。
日本では、ちょっとばかり目端の利いた小料理屋の女将が
「これ、手作りなんですゥ」
とばかりに肉ジャガを出したりすると、
だらしなく目尻を下げた男たちがわらわらと寄ってきて、
「懐かしいなァ、おふくろの味を思い出すよ」
などと甘えたような声を出す。
肉ジャガごときに何を大袈裟な。
それほど食いたければ、女房にしこたま作ってもらえ。
あんなもの、
ジャガイモに牛肉、玉ネギ、ニンジン、
それにシラタキさえあれば、子供にだってできる。
いくらご無沙汰だからといって、
妙なうめき声を上げて懐かしがるほどのものではなかろう。
お父さんたちは会社からの帰途、
しばしが赤ちょうちんに引っかかる。
家に帰って古女房と差し向かいになるよりは、
美人女将のいる小体な飲み屋で、
肉ジャガなんぞを肴に一杯やったほうが
身も心も落ち着くからだ。
その気持ちはよくわかる。
疲れた躰を引きずってようやくご帰還遊ばしても、
聞かされるのは近所の噂話と女房の愚痴では身がもたない。
愚痴をこぼしたいのは、実はこっちのほうなのだ。
その点、飲み屋の女将はいやな顔もせず
根気よく悩みを聞いてくれる。
あれは洋画などによく出てくる教会の懺悔聴聞僧と同じなのだ、
と指摘した友がいたが、なるほど言い得て妙である。
その懺悔聴聞僧手作りの肉ジャガとあらば、
これは目尻を下げ、感動のうめき声を上げねばなるまい。
たとえ万の金でも欣然と払わねばなるまい。
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