| 第85回青春まっ暗け
 いわゆる「戦前戦中まっ暗史観」は容認できないが、私個人の「青春期まっ暗自分史」は容認せざるを得ない。
 友だちはいないし、いじめられっ子だったし、
 持病の神経症に悩まされてもいた。
 思春期特有の自殺願望もあって、
 一時は死ぬことばかり考えていた。
 17歳にして華厳の滝から身を投じ、
 《万有の真相は唯一言にして悉す。曰く「不可解」……》
 と嘆じた藤村操の『巖頭の辞』を自室の壁に貼り、
 倦かずに眺めていたこともある。
 神経の病から来る厭人症はますますひどくなるばかりで、同時に発症した自律神経失調症のために体調もすぐれなかった。
 医者には何度もこう言われた。
 「何も心配することはないんだよ。
 君の病気は気の持ちようなんだから……」。
 そんなことは言われなくてもわかっている。
 どういう気の持ち方をすればふつうに生きられるのか、
 それがわからないから医者に通っているのだ。
 思えば散々な青春だった。
 もう一度あの時代に戻ってみろ、
 といわれてもまっぴら御免だ。
 そんな私であったのに、わが娘たちは学校に行くのがよほど楽しいらしく、
 「早く月曜日にならないかな」
 などとルンルンしている。
 おそらくこれは女房の血だろう。
 妻はひまわりみたいな向日性の性格を持ち、
 やはり学校大好き人間であった。
 よくまあ無事にここまで生きられたものだと、自分でも感心してしまうのだが、
 よくよく考えてみると、父母のお陰ではないかと思われる。
 いよいよ進退きわまっても、最後の頼みの綱がいる。
 父と母だ。
 そう思うことで、どれだけ気持ちが楽になったことか。
 人間、自分のことを大切に思ってくれる人が一人でもあれば、
 生きていけるのである。
 さて当時、私の机の上には、『若きウェルテルの悩み』だとか『三太郎の日記』、
 『出家とその弟子』といった
 ネクラ文学の数々が雑然と山積みになっていた。
 どうせ愚にもつかぬヤクザな思いで
 頭の中をいっぱいにしていたのだろうが、
 私にとっては小説の世界こそが現実だった。
 友や師は書物の中に存すべきもので、
 生身の人間たちはむしろ実体のない幻のように思えた。
 もし私の前に書物の世界が開けていなかったとしたら、
 と考えると暗然とする。
 呼吸器を外されたようなものだからだ。
 書物は私の命をつないでくれた呼吸器そのものだった。
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