誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第71回
「ガリ勉」なぜ悪い

こんなことを言ってもなかなか信じてもらえないのだが、
私には「ガリ勉」と呼ばれた時期があった。
中学時代である。
大ボラでも何でもない。
とにかくヒマさえあれば勉強ばかりしていた。
友だちは相変わらずいなかったが、
ガールフレンドだけはしっかり確保していた。
それも飛びきりの上玉だったから、
それへのやっかみもあり、ますます風当たりはきびしかった。
要するにイヤな奴だったのだ。
これで人並み外れた運動神経を持ち合わせ
スポーツ万能でありさえすれば、
少しは評価も変わっていただろうに、
こればっかりは並みに生まれついてしまった。

ガリ勉に拍車がかかったのは中二のころからだ。
遊んでくれる友だちはいないし、他にやることもないので、
小説を読む以外の時間は授業の予習に当てていた。
予習は数カ月先の分までやってしまうので、
授業はすでに覚えた知識を確認するだけの場で、
退屈の極みだった。
あんまり退屈なので、時々早退きしては家で本を読んでいた。
こんな不良学生が、
数十年後には偉そうに“しつけ論”をぶっているのだから、
人生はわからない。

しかし正直、勉強はおもしろかった。
やった分だけ成果が出るし、
知らない世界にふれるというのは、
何にも増してエキサイティングなことだからだ。
運動でも何でもそうだが、
技術レベルが低いうちはおもしろくない。
しかしあるレベルまでいくと、俄然おもしろくなってくる。
量的なものが質的なものに転換する分岐点があるのだ。
勉強がつまらないと泣き言をこぼしている連中は、
これからおもしろくなるという分岐点の
はるか手前で挫折してしまい、
知ることの喜びを味わうことがない。

私はつくづく思うのだ。
「ガリ勉なぜ悪い」と。
理想はスポーツもできて勉強もできる子、
という文武両道なのだろうが、
そんなおあつらえ向きの人間などめったにいない。
スポーツに青春を捧げる子には賞賛を浴びせても、
一途に勉強に励む子にはそれがない。
ないどころか「ガリ勉」という不名誉なレッテルを貼り、
仲間外れにする。
私のようなひねくれ者は仲間外れにされて当然だが、
真面目に勉学に励んでいる子だっていっぱいいるのだ。
その子たちを素直に応援してやろうというムードが、
いっこうに高まってこないのが不審なのである。
この国では「主知主義」というものが不当に軽んじられている。


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