誰が日本をダメにした?
フリージャーナリストの嶋中労さんの「オトナとはかくあるべし論」

第12回
タコブツに一掬の情けを

女は強くなった、とつくづく思う。
いや、男がしょぼくれている分だけ、
女が輝いているように見えるのか、とにかく女は元気がいい。
スーパーに買い物に行くと、夫婦連れをよく見かけるが、
ここでも女の強さが目立っている。
というより男たちは総じて所在なげな風情で、
伏し目がちに女房のあとをトボトボとついていく。

夫が定年退職している場合などは、
この夫婦の力の差が歴然とあらわれる。
夫が晩酌のつまみにと、
さりげなくタコブツの刺身かなんぞを
買い物かごにすべり込ませたりすると、
老妻はニコリともせずに売場に戻してしまう。
夫は怒るでもなく抗議するでもなく、
無言で首うなだれ、またトボトボと妻の後ろに従うのである。

年金生活に入ると
タコブツすら満足に食べさせてもらえないのかと、
見ているこっちまで涙を誘われてしまうが、
女房の後ろに従者のごとく、
あるいは濡れ落ち葉のごとくまとわりついている
しょぼくれ亭主を見ていると、
も少しシャキッとしたらどうだ、と活を入れたくなる。
私ならタコブツのために、
「これはお前に食わせたいのだよ」
くらいのウソは平気でつく。
いくら零細な年金生活者だって、
タコブツくらい食ってもバチは当たるまい。

何がみじめといって、
現役を引退した途端に精彩を失ってしまうことほど
みじめなことはない。
かつては名の知れた企業で、数十人の部下を擁し、
億単位の商談をまとめたこともあろう。
肩で風を切って歩いていた晴れがましい時期もあったのだ。
ところが“社畜”としての年季が明け、
めでたく家庭に戻り“人間性”を回復したのはいいけれど、
あまりに久しく会社に飼い慣らされていたためか、
地域社会になかなか馴染めない。

団地のちょっとした集まりなどに参加しても、
つい昔の習い性で、
「○△(株)元営業部長」などという名刺を差し出してしまう。
“元”というところに万感の思いを込めたつもりだろうが、
その思い切なるだけに悲哀感はいや増してくる。
日本の男たちから国籍と会社を取ったら何も残らないというが、
少なくとも女房は、家族のために会社に魂を捧げた男に、
一掬の情けをかけてやるべきだろう。
亭主が食いたいと言ってるんだ。
タコブツくらい、喉につまるほど食わせてやればいいのだ。


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