| 第182回お金を使うことのむずかしさを伝える『お金の使い方』
  『お金の使い方』が発行された翌年の昭和57年に“熟年”向けに書かれた『ダテに年は取らず』が発行されました。
 この作品のなかで邱さんは『お金の使い方』にふれ、
 お金を使うことが如何にむずかしいものであるかについて
 書いています。
 「『お金の使い方』という本を書いた。その中で私が『一年間に1億円使う積もりだ』
 という意味のことを書いたら、新聞社から電話がかかって、
 『どうやって1億円を使うのですか』ときいてきた。
 ちょうど1億円拾った人が、妄想にとりつかれて
 ガードマンまでやとった話が新聞ダネになったあとだったので、
 私は『1億円拾ったくらいで気がおかしくなる人もあれば、
 1億円置き忘れて黙っている人もあるのだから、
 お金を容れる器は人によって違うのだ』
 『だから、器を大きくしなければ、
 お金はすぐに溢れてこぼれてしまう』
 『日本人も世界のお金持ちになったのだから、
 これからはお金を儲けるよりも、
 お金の使い方の勉強をする必要があるだろう』と云ったのである。
 『先ず隗より始めよ』というコトバもあることだから、私は女房に『もうあと平均寿命で考えても、20年はないのだから、
 気前よく一年に1億くらい使うことにしようじゃないか』と云った。
 そうしたら、女房が笑って、
 『あなたにどうやって1億円が仕えますか?
 どんなに一生懸命使っても、
 せいぜい年に2000万円くらいだわね』
 永年つれそってきて、どのくらいケチで、どのくらい勘定高いか、
 心の奥の奥まで見透かしているといった口ぶりである。
 行きがかり上、私はどうやったら、年に1億円使えるかということを
 『中央公論』の誌上で試みてみた。
 年に1億円は日に割れば、30万円足らずである。
 『日に30万円なら、たいしたことはない。
 俺がつかってみせてやる』という友人は多いが、
 大抵はお金を持ったことのない連中ばかりである。
 実際に、お金を持っている連中は、
 お金儲けの難しいことを熟知しているから
 『とんでもない。』
 そんなお金が使えるわけがないと首を横にふってしまう。
 どうしてかというと、『使う』というのは再生産過程から消えてしまうことだから、
 『商売に役に立つ人と料亭に行く』のも、
 『梅原龍三郎や岡鹿之助の画を買う』のも、
 また『奥さんにダイアモンドを買ってやる』のも、
 その中に入れてはならないのである。(略)
 純然たる消費であるためには、
 バーに行くにも商売の役に立たない人と
 一緒でなければならないし、
 ダイヤを買ってやるにも、奥さん以外の、
 将来、すぐ右と左に別れてしまうような人に
 買ってやるのでなければならない。
 『そんな人のために、そんな無駄なお金が使えるか』ということになると、年に1億円はとても使いきれないことになる。
 もし、そうだとすれば、どうせ使いきれないお金をためても
 何の役にも立たないことになるし、
 お金をたくさん持っている人を羨ましがる必要もなくなる。
 したがってお金を持っていないひとにととっても、
 たいへん慰みになる話ではないかと思う。」
 (「ふところ深いお金の使い方」。『ダテに年は取らず』に収録)
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