第179回
台湾の経済が発展し“男の天国”はなくなってしまいました
邱さんは台湾経済の視察団を組織して
大勢の日本人を台湾に案内しました。
その頃のことを「台湾は昔の台湾ならず」のなかで、
書いています。
「『台湾は “男の天国” と週刊誌に書かれていますが、
経済が発展すると、“男の天国”はなくなってしまいます。
敗戦後の日本には多くの外国人がやってきました。
遊びに行くのなら日本だというのが
その頃の外国人の合言葉だったからです。
“こんな女に誰がした”という歌がはやったのも
その頃のことです。
しかし、日本の経済が発展すると、
日本は遊びのメッカでなくなりました。
皆さんの力で台湾経済が発展したら、
台湾も“男の天国”でなくなってしまいます。
だから行きたかったら、今のうちです』
一回に50人前後、三十何回も視察団を組んだから
総ぜい1500人以上にもなったろうか。
その中で一回だけ台風が台北を直撃して、
帰国の日に台北で足止めを食ったことがあった。
旅行社の人がお客さんの家族たちが心配するといけないと思って、
留守宅に連絡をしようとした。
すると、団員のなかから二人ばかりとびだしてきて、
連絡はいらないと言った。
『どうしてですか?』と聞くと、
『北海道にゴルフに行っていることになっているんですから』
『ゴルフって、ゴルフの道具は
お持ちになっていらっしゃらないじゃないですか?』
『いや、伊丹の飛行場の一時預けに預けてあるんです』
これには爆笑が湧いた。」
「紆余曲折はあったが台湾経済は奇跡的な発展を遂げ、
昨年(58年)、本年(昭和59年)と二年続きで
年間50億ドル以上の出超が続き、
84年末で台湾の外貨準備鷹は確実に200億ドルを突破する。
日本の外貨準備高が250億ドルていどで、
台湾の人口は日本の約6分の1だから、
人口比で行けば、
日本が1200億ドルの外貨を持っているのと同じ状態になる、
外貨保有高から見る限り台湾は
世界一の金持ち国にのしあがったのである。
その一方で、北投温泉は売春が禁止されて、
“男の天国”でなくなってしまった。
失業した女たちは『外国観光旅行の自由化』を利用して、
今までの『客寄せ』商売から『出前』に方向換えをして
日本に出稼ぎにくるようになった。
その生態を書いた『小姐東遊記』という短い短篇が
私の『たいわん物語」という本に収まっている。
予想したとおりの動きになったが、どうして台湾の経済が
これだけ発展したかというと、
第1に台湾の人たちが勤勉で働き者であるからだろう。
第2に教育水準が高く、知能程度が優れているかれらであろう。
第3に社会的投資がアジアでは日本の次くらいに行き渡って、
工業の発展に向いているからであろう。」
(「古い知恵と新しい変化」『金銭通は人間通』に収録)
ある時期の台湾の姿が描かれていて興味深いものがあります。
この文章が書かれてから20年近い年月がたっており
いま、台湾は1280億ドル、日本は3950億ドルの
外貨保有高を持つにいたっています。
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