Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第166回
選挙への出馬を決意させたのは台湾の将来に対する危機感

邱さんの参院選全国区への立候補はあわただしいもので、
「考えたらすぐ実行しよう」という自分の信条を
地で行くものであったようです。
選挙から15年ばかりたった平成6年の頃、執筆をはじめた
『鮮度のある人生』で邱さんは当時のことをふりかえっています。
「日に日に勢力の強くなっている中国政府の政治情勢を前に、
台湾の将来がどうなるか悲観的になっていた。
万一、中共が武力で台湾を解放したら、
国民政府の要人たちはアメリカにでも逃げればよいが、
あとに残された1500万人の台湾人と、
400万人にのぼる外省人はどうすればいいのだろうか。(略)

あの時点で、私にできることは(のちになって考えれば、
自分勝手な、大変飛躍した着想にすぎないが)
日本籍に移って、日本の政治家になり、
(たとえば、参議院の体外援助委員会の委員長になって)
中共に対して資金援助する場合、多少の影響力を持ち、
中共の台湾政策に口出しができることだと思った。
ちょうど宝山製鉄所の建設のために、
日本側が3千億円にのぼる資金援助を成立させたところであり、
私の見方によれば、
この資金はいずれ予定通りに返済できなくなり、
中国側の立場は弱体化する筈だから、日本側の議員になれば
その分発言権が強くなると思ったのである。

一旦思い立つとやらずにおれない質だから、
私は自分が参議院全国区に立候補する意思表明をした。
日本国籍もない人間が日本籍に転入して選挙に出るようなことは
前代未聞のことだから、たちまちジャーナリズムの話題になった。
しかし、選挙のプロの評論家たちの反応は冷淡で、
恐らく10万票とれたらいいだろうと軽く突きはなされた。

まず活字出身の候補は選挙に弱いこと、
いくら知名度があっても外国人には票を入れる人が少ないこと。
もちろん私自身はそれをまともに信じなかったから、
立候補したのだが、結果は向こうの方が
正しいことを証明することになった。
せめても慰めは、宣伝カーに乗らず、お金の持ち出しにもならず、
選挙運動らしいこともせずに
15万票を集めることができたことであろう。
『選挙というのはギブ・アンド・テイクだから、
利益がなければ、票にならないものですよ。
何もやらないで15万票とれたから大したものです。
自民党の議員さんだって組織票にたよらずに、
それだけとれる人はいなんじゃないですか。』
と中曽根さんから慰められた。」
(『鮮度のある人生』)


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2003年2月9日(日)

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