Qさんの本を読むのが何よりスキ
という戸田敦也さんがQライブラリーのガイド役をつとめます

第131回
大学時代の学友、許武勇さんに面談

邱さんは台湾に帰ってから、その後日本の経営者たちを連れて
日台間を往復するようになりますが、先の台湾訪問の際に
めまぐるしい日程の合間をぬって旧友との面談を実現しています。
旧友とは大学時代、同じところに下宿していた
許武勇さんのことです。

「学生時代の私の親友の一人である許武勇君に招かれて一夕、
生きたエビや魚の料理をご馳走になり、
彼がコツコツ描いてきた絵を見せてもらった。
許君は高校では私の3年後輩だが、東大医学部を出て、
アメリカのスタンフォードに留学したレッキとした医者である。
世間並みのつきあいには全く関心のない人だが、
どういうわけだか私とは妙に気があい、
東大時代、同じシロウト下宿の2階に隣り合わせて部屋を借り、
ながく一緒に暮らした。
戦争が激しくなって敗戦の色が濃くなったころ、
私は憲兵に寝込みを襲われて逮捕されたことがあるが、
その時、許君はあわてて階段をふみはずして
2階から下までころげおちたことがある。」(『絵の相場』)

その許さんから邱さんに手紙が届きます。
「20数年ぶりに公然と手紙を送ることができ
感慨無量です。贈物を有難う。
日本で株の神様と崇められている貴君からの贈物のラジオで
毎日の相場を聴いているが、さすがご利益あって、
このごろはうなぎ上りでおかげ様で
相当な成果をあげるものと確信している。

この20年来、日本の婦人雑誌や医学雑誌に
君の評論がでるごとに家内と貴君の噂をして、
どんな姿で凱旋して来るかと楽しみにしていたが、
遂にその日が実現した。
産毛の残った貴君の見事な禿頭が家の中に見えた途端、
痛切に20数年の時間の隔たりを感ずると共に
この20数年間に神話の中の王子様のようになった貴君にも
昔の友情は一寸も変わっていないのを感じた。

もっと貴君の時間の価値が下がってからでいいと言ったのに、
直ぐ飛んで来たのは友情が
何物よりも価値が高いことを証明しているように感じ、
二次大戦中の下宿生活の思い出が
あたかも昨日の夢のようによみがえった」(同上)

邱さんはこの手紙を書いた許武勇さんに
当時自分が発行していた美術雑誌『求美』を持参しています。
「許武勇」さんについてインターネットで調べると
本職はお医者さんですが、台湾の画壇で画家として、
また審査員として活躍されている人であることがわかります。


←前回記事へ

2003年1月5日(日)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ