第61回
中央公論社の嶋中鵬二さんの勧めで『金銭読本』を書きました
邱さんは「サムライ日本」の第一回の原稿が
『中央公論』に掲載された昭和32年10月18日、
嶋中鵬二社長を自宅に招きました。
その頃、嶋中さんは『婦人公論』の編集長を兼任しており、
その席には、のちに女性で初めて『婦人公論』の編集長になった
三枝佐枝子さんや鉄道紀行文学を開拓した宮脇俊三さんも一緒でした。
この日、嶋中さんが「いい知恵を貸してください」と言うので
邱さんは「婦人雑誌はどうしてお見合いとか、結婚初夜とか、
出産とか、良人の浮気とかいったことばかり力を入れて
お金のことをとりあげないのでしょうね。
奥さんたちが一番関心を持っていることは
お金のことじゃないですか?」と聞きました。
嶋中さんが「邱さんのおっしゃる通りですが、
文壇には、お金のことが書ける人がいないのですよ。
言い出しっぺだからお金の話は邱さんにお願いします」と
その場で邱さんに下駄を預けました。
これには邱さんも考え込んでしまいました。
結局やることにし、『婦人公論』に「金銭読本」を
連載することになりました。
これが邱さんの金銭談義のはじまりです。
最近、この「金銭読本」を執筆した頃に
その動機を書いた文章を見つけましたので引用します。
「それは人々の金銭欲に投じようとするよりは、
一見無欲ではないかと思われるような日本人の金銭観に
興味を抱いたからでした。
たとえば、日本人はあまり金のことを口にしない。
うちの家内などを見ていると、友人が新しい服を着てきた場合
『あら、いいわね』といったかと思うと、次の瞬間には忽ち、
『どこで買った?』『いくらだった?』という話になってしまう。
そうすることは大して失礼だとは思っていないようであるが、
日本人の友だちになると、よほど親しくならない限り
金の話まで発展しない。
では日本人は金に無関心なのだろうかというと、
ちらりと一瞥で値踏みはちゃんとしているのだから、
関心がないわけではなく、ただ金のことを口にするのは
慎むべきと考えているに過ぎない。(略)
金銭を卑しむということは金銭に無関心ということとは別問題である。
障害が多ければ恋愛の火の手が大いに燃え上がるように
金銭を卑しめと教えられれば、金銭に対する執拗な関心が生まれる。
(略)将来の不慮の災害に備えたりするのは今までのところは
女性に課せられた任務であり、その必要から
女性は嫌でも金銭に対して関心を持たざるを得ない。(略)
『金銭読本』を婦人読者を対象として書いたのも、
そうした思惑があってのことでした。」
(「サムライは欲望と黄金を長く地に埋めていた」。
『投資家読本』昭和36年に収録)
|