第53回
初の評論集『日本天国論』に大宅壮一さんが賛辞を送りました。
邱さんは『台湾人を忘れるな』と題する論文のなかで
日本人が台湾問題に頬被りしていることを
痛烈な皮肉を込めて指摘しました。
「ある朝、床から起きて新聞を見たら、
中共訪問へ行く日本社会党の談話として、
『台湾問題は中国の内政問題である』という記事が
載っていたのである。
私はこれを中共の招待でタダの御馳走になりに行くお客さんが
主人側に対してお世辞の安売りをしているのであろうと解釈した。
でなければ、どんな低能だって台湾問題が
ただの内政問題でないことを知っている筈だからである。
しかし同時に現実に目を覆い、観念論をふりまわしても
結構政治家がつとまるこの国が羨ましくなってきた。
来世に生まれてくるなら、私はアメリカ人なんかより
日本人に生まれてきたい。
そして国鉄か総評か日教組を背景にして
社会党の代議士として打って出たい。
自分たちが置き去りにした台湾人の不幸をよそに、
『台湾問題は中国の内政問題だ』と放言することが出来たら、
さぞや、人生は楽しいことずくめであろうと考えるだけでも
ホクホクである。」
(「台湾人を忘れるな」。『日本天国論』に収録)
当時の日本人の頭には中国問題といえば毛沢東と蒋介石との
間のことだという理解しかなく、台湾人という問題がある
理解が欠けていました。
邱さんの論文は日本で盲点になっているこの点をついたので
この論文は各新聞の批評欄で取り上げられました。
邱さんは先に『文藝春秋』の池島信平さんの勧めで、
「日本天国論」を書き
今度は『中央公論』の嶋中鵬ニさんからの依頼で
「台湾人を忘れるな」を書き
またこれを機会に『中央公論』誌で巻頭論文を書くようになり、
評論の分野で活躍の場を開きました。
そしてこれらの諸論文を掲載した『日本天国論』が
邱さんの初の評論集として刊行されました。
すると毒舌家で知られていた大宅壮一さんが
『いまだかつて日本人によっても、日本にきた外人によっても、
これだけユニークな日本論が書かれたためしはない』
と最高級の讃辞を送りました。
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