第24回
処女作品、小説「密入国者の手記」の誕生です
王さんから窮状を聞いた邱さんは
『台湾の人はついこの間まで日本人だったのに、
戦争が終わった途端に、お前らは今日から中国人だ、
出て行けと言われてもこまるよな。
こうなったら、僕が君に代わって陳情書を書いてあげる』
と言って、宿に帰り、夜を徹し、
五十枚ばかりの原稿に書きました。
「親愛なる判事様。
私は本年29歳になる台湾生まれの青年で
遊天徳と申します。
ご承知のように、私は昨年十月、
日本における居住権を獲得せんがために、
自分が不本意に犯した不法入国について
自首して出ましたが、
昨年十二月第一回裁判において
強制送還の判決を下され、
それに対して不服を申し立て、
さらに上訴した第二審でおいても
原審どおりの判決を下されました。
もし日本以外に私の行くべき所がありますならば、
最初から自首もしなかったでしょうし、
それどころかおそらく不法入国の挙にも出なかったと思います。
けれども実際に日本以外の行くべきところを持たない私は、
どんなことがあっても、なんとかして日本における居住権を
獲得しなければならないのです。
ですから、私は、もう一度
不服を申し立てて上訴いたしました。
今回は第三審であると同時に私にとっては
最終審であり、私が国外へ追放されるか、
あるいは居住権を与えられて合法的に
日本へ居住されるかが決定される
重大な時であります。」
こう書き出して、できあがったのが小説「密入国者の手記」です。
困窮する友人を救うため、世論に訴えたいという気持で書いた作品が
邱さんの処女作となりました。
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