第11回
大学の先生になるつもりで、大学院に進み、
「壕舎生活者の実態調査報告」を新聞に発表しました。
邱さんが大学生であった頃の大学は3年制です。
1942年(昭和17年)に大学に入学した邱さんが
卒業を迎える1945年(昭和20年)に日本は戦争に敗れます。
日本が戦争に敗れ、故郷台湾も日本の支配から抜け出し、
邱さんは解放感を味わいました。
その頃、邱さんは学者になることを目指すようになっており、
「東大教授になるのは難しいだろうけど、
故郷へ帰れるようになれば、
台湾大学の教授ぐらいにはなれるだろう」
と考えていました。
恩師、北山富久二郎先生にお願いし、財政学を専攻科目として、
大学院に残ることにしました。
財政学を学べば、日本から解放された祖国台湾の経済建設に
役立てることができるのではないかと考えたからです。
同じように大学院に進んだ人に薄信一さんがいました。
邱さんは、薄さんと語らい、
「東大社会科学研究会」を結成しました。
この研究会に三百人の学生が集まりました。
「マルクス・ボーイ」ばかりで、
「資本論」の輪読会をやろうというような主張ばかりが目立ちました。
邱さんは
「読書など自分一人ででもできる。
せっかく皆で集まるのだから、
皆で手分けをして焼跡のバラックに住んでいる人たちの
実態や輿論を調査しようじゃないか」
と提案して、受け入れられました。
邱さんは薄さんと徹夜で調査事項を書き出し質問事項を整理しました。
いざ実行となると、三百人いた会員がたったの三十名に減りましたが、
手分けをして、戸別訪問をし、
当時の最新機器であったタイガー計算機を使って結果をまとめ
東大新聞に発表しました。
大新聞も取り上げ、
将来、ジャーナリズムの分野に進んだら大成するかもしれない
と思ったそうです。
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