トップページ > 炎のシェフ泊のメモ帳 > バックナンバー

   隔週水曜日更新
27. 思い出話 VI

今回はイタリアで私と同じようにイタリア国外から働きに来ている外国人のお話。

私がイタリアへ渡り最初に働いたレストランは
マルケ州のアンコーナという港町に程近いポルトノーヴォというところですが、
そのレストランで働いていた揚げ物とオーブン料理を担当のアフリカ人と
洗い場担当のアルバニア人の方々がいました。

アフリカ人のおじさんの名前は「ピエトロ」。
彼は若い時にアフリカを出てフランスに移住し、
イタリアへ出稼ぎに来てフランスの家族へ仕送りをしながら生活をしています。
フランスの永住権は持っているものの
フランスでは思ったよりも稼げなく、やむなくイタリアへ来たみたいで、
やはり家族と離れての生活でいつも不機嫌そうな顔をして、
黙々と仕事をしてあまり笑いません。

もう一人は洗い場担当で20歳のアルバニア人。
アルバニアの場所はギリシャの上、
イオニア海とアドリア海のちょうど交わる部分に位置します。
イタリアのブーツをかたどった地図で言うとかかとの部分から海を挟んだ所です。
彼、いや彼たちは海を渡りそこからやってきたというのです。
もちろんビザなど持っていませんし、パスポートなんてなお更です。
云わば「不法入国」
彼がまだ十代半ばの頃、小さなボートにひしめき合いながら深夜イタリアへ上陸し
イタリア各地へ散って行ったとか。

レストランにはイタリアの労働局や警察が抜き打ちの検査にたびたびやって来ます。
その検査がやって来て、もし不法入国者が働いているのが分かると
店側に多額の罰金と重い罰が科せられます。
店側は安い賃金で雇う代わりに重いリスクを背負わなければなりません。
そして抜き打ち検査がやってくると誰かが小さな声で叫びます。
「逃げろ!」
その声が掛かる度に裏口から猛ダッシュで逃げていきます。
安全な場所などないのに。
小一時間が経つ頃にひょっこりと戻ってきては
また何も無かったかのように洗い物の仕事を始める。
非現実的な出来事が日常に溢れていて、
心休まる時間など皆無に等しいではないでしょうか。

私たち日本人の中にもビザを取得せず不法滞在する料理人が少なくありません。
私がイタリアへいた頃は既に外国人に対する法律が変わり始めた時代ですので、
なかなか正規のルートで仕事できるのはほんの一握り。
就労ビザを取得するのはよほどのコネクションとお金が必要なんです。
私の友人の中にも何人かはビザを延長することが出来ずに
やむなく強制帰国になった人もいます。
そんな明日はわが身的な状況下の中、海外での暮らしを思い出し、
今を感謝し精一杯生きようと想う今日この頃です。


2008年3月05日 <<前へ  次へ>>