第539回
北京滞在10周年

私、この4月で、
北京に来て丸10年になりました。

10年前、1996年4月に北京に赴任した当時は、
中国語がほとんど話せませんでしたので、
中国語でガンガンかかってくる電話に出るのが、
怖くて怖くてしかたがなかったのですが、
今では、おかげさまで、何の不自由もなく、
中国語で商談ができるまでになりました。

10年前に比べれば、言葉だけでなく、
かなり肝も据わってきたように思います。
中国では、日本の常識では考えられないようなことが、
しばしば起こります。
最初のうちは、そうした非常事態が起こるたびに、
あたふたしていたのですが、
今ではめったなことでは驚かなくなりました。

良く言えば肝が据わってきた、ということなのですが、
悪く言えば無神経になった、ということです。
しかし、中国でビジネスをするに当たっては、
頭の神経を2、3本切っておくぐらいで、
ちょうど良いのかもしれません。
日本人の繊細な感覚のままで、
中国で仕事をしていたら、
あまりにも刺激が強すぎて、
神経が衰弱してしまうのではないでしょうか。

そんな私も、本場中国の人たちから見れば、
まだまだ小物もいいところです。
良い悪いは別にして、
毎日、数百万円の損失が出ているにも関わらず、
「没弁法(めいばんふぁー、しょうがない)」
と言いながら、へらへらと笑っていられるぐらい、
肝の据わった大人物になりたいものです。

さて、この10年。北京の街の変化も、
すさまじいものがありました。

昔ながらの胡同(ふーとん、路地)や
レンガの家、団地が次々と取り壊され、
近代的なオフィスビルや
高級マンションが建設されました。
道路もどんどん整備されました。
郊外各所にマンション群が形成されました。

副食品市場がスーパーに変わり、
コンビニができ、スターバックスや
24時間営業のレストランができました。

マイカー時代の到来により、車の数が増え、
渋滞もひどくなりました。

何より一番変わったと思うのは、
街を歩いている人のファッションセンスです。
特に、女性のファッションセンスは
10年前に比べて、格段に良くなっています。
デザイナーの顔を見てみたい、と思わせるような、
どう考えてもおかしいデザインの服や、
結果的にサイケデリックになっている
前衛的な色使いは影をひそめ、
非常に垢抜けたセンスの人が多くなっています。

但し、北京の夏の風物詩、
「暑いので、シャツをたくし上げて、
お腹を出して歩くおじさん」は、
今でも健在ですが...。


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2006年4月3日(月)

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