第82回
ブランドケーエイ学32:オモシロイほうの広告。

広告で「何を」伝えるか。(1)事実と(2)解釈(3)評価の要素がある。解釈と評価でうめつくされるものは、まず平凡になる。次に、それらの要素を「いかに」伝えるか。これが広告のレトリックである。
コピーで訴える。グラフィックで感じさせる。気どる。笑わせる。タレントに持たせる。いろいろな手法があるが、いずれも最近はトーン(雰囲気)が大事だということになっている。
プロの制作者は、この面においてはさすがに、みなプロだ。現在では、レトリックこそが広告の最大のポイントになっている。

レトリックは、その表現がカッコイイかどうか、面白いかどうかという点で、受け手の「共感」を得ることをめざしている。
なぜ「共感」を目的に広告をつくるかといえば、第一に記憶されたい、できれば好感を持ってもらいたいということだ。現在ではとくに、カッコイイよりも面白いことが重視される傾向がある。バラエティー番組がふえ、アイドルや2枚目よりも、お笑い系タレントの人気が高いのも同じ流れだ。

お店に似たような商品がいっぱい並んでいるとき、人は何をカギとして商品を選ぶか。価格やパッケージなどもあるが、だいたいはその人が「記憶しているもの」の中から選ぶ。知らないものに手を出すということはまずない。使ったことはなくても、商品名などが頭のなかに定着していれば有利だ。
品質にさしたる違いがなく、差別化をあきらめたような商品である場合、「共感」によって記憶してもらおうと、「おもしろ型」の手法が選ばれがちだ。たしかに、面白い方が、カッコイイものよりも「記憶」には残りやすい。

TVの初期には、商品名連呼型のCMが多かった。連呼すれば覚えてもらえるという素朴な信仰があったのかもしれない。現在では連呼型はさすがにすたれた。しかし面白いことでなんとか記憶に残ろうとする広告も、記憶頼みである点において、連呼型と同じ構造をもっている。

おもしろ広告の代表選手には、一連のキンチョールとか、衝撃的な温泉卓球のサッポロ黒ラベルとか、AU「面白い方のケータイ」、サントリーのBOSSなどがある。実際こうして覚えているわけで、いずれも表現としては一級だった。
ではその広告効果が、一級であったかどうか。レトリックと記憶に依存する手法には限界があるのではないか。それが次の課題だ。


←前回記事へ 2003年2月18日(火) 次回記事へ→
過去記事へ
ホーム
最新記事へ