第4411回
文明の交流は必らず双方向性です
今から20数年前、私がはじめて北京を訪問して、
中国に4つの経済特区をつくった谷牧前副総理と
人民大会堂で会見をして、
中国に新時代が来ることを確信して、
日本企業の中国進出に肩入れする決心をした時、
私は日本の資本と技術が中国に動くことを頭に浮べましたが、
それは日本から一方的に文明が移動することではなくて、
それに負けないだけの中国から日本への動きが
必らずあると想定しました。
現に日支事変のさなか、
日本が軍事的に一方的に中国大陸に攻め込んだ時でさえ、
日本は中国文明の大きな影響を受け、
流行歌のメロディからラーメン、ギョウザに至るまで
日本に持ち返っています。
ですから日本の生産技術やそれを実現するための日本の資金が
中国に動くだけでなく、
中国4000年の歴史でつちかわれた文明が
それに負けないレベルで日本に影響することを確信しました。
一国の文明を代理するものは、
1に言語、2に毎日食べる料理、3に病をなおす医術、
そして、4つ目がお金の扱い方と私は考えています。
ですから、私は日本語学校も中国語学校もすぐにつくりました。
台湾ではかなり成功して、
永漢日語には今も7000人の人が日本語の勉強をしています。
逆に中国語の勉強をする日本人も
台北のうちの語学教室で中国語の勉強をしています。
中国大陸でも、
私はすぐに上海で日本語教室をオープンしましたが、
外国人が中国で教育に従事することに色々ときびしい制限があるのと、
中国人の大半が日本よりはアメリカに目を向けているので、
日本語を学ぶ人は意外に少く、
北京にひらいた永漢日語も2年ほどで
閉校の憂目を見てしまいました。
そのへんのところに、台湾と中国大陸の違いがはっきり出ております。
でも同じ口を動かす仕事でも、料理となると、
日本が中国に影響をあたえるより、
中国が日本人の口に絶大な影響をあたえていることは
皆さんがご体験になっている通りです。 |