第4326回
香港永久性居民になったわけ
昭和28年に作家になるべく
妻と娘を連れて東京に舞い戻った私は好運に恵まれて、
2年で直木賞を受賞し、
物書きとして生計を立てられるようになりましたが、
その私が48歳で亡命先から首に懸賞をかけられた
生まれ故郷の台湾に帰り、更に10何年かかって
再び香港に本拠地を移したのは、
もとより税金を節約するためではありません。
私が「中国の香港化」がはじまると主張して
香港に日本の投資家たちを連れて行って
マンションを650室も買ったのは、
中国が共産主義体制から脱皮して開放政策に転じ、
やがてアジアの時代になることを信じて、
なるべく正しい情報を得る必要を感じて香港に居を移した、
いわばその副産物にすぎないのです。
日本はアジアの一番東に位置し、
アジアでも突出した超一流国になりましたが、
アジアの盟主になるよりは
「アジアの蚊帳の外」に脱出する道を選んだので、
むしろアジアから疎外される位置におかれています。
そのためにアジアに対するニュースにも暗く、
中国で新しく何が起るかということもよく報道されないのです。
韓国、台湾の次は中国だと見ている私にとっては、
香港の報道の方が日本の新聞を見るより
ずっと正確だと考えたので、
自分の本拠地を、一時的にせよ、
香港に移すのが正しいと考えたのです。
そのおまけとしてころがり込んだのが
香港のマンション漁りですが、
実際にやって見るとそう簡単なものではなかったし、
日本にいて日本の不動産を売買するのと違って、
香港の法律に従って香港で決算する必要に迫られました。
さもなければ、二重課税を迫られて
利益の大半が国庫におさめさせられてしまいます。
幸か不幸か、不動産の値上がりになるまでに
5年近くもかかりましたので、その間に香港に自宅を買い、
香港の居住者、即ち日本の非居住者になることができたのです。
でも私は今日に至るまで一ぺんも
配当所得をもらったことはありません。
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